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先行して多くのミスを経験したからこそ、全国のICT活用をサポートしたい! 数学科教員をしながら、学校のICT化をサポートする経営者の挑戦

先行して多くのミスを経験したからこそ、全国のICT活用をサポートしたい! 数学科教員をしながら、学校のICT化をサポートする経営者の挑戦

郁文館夢学園で非常勤の数学科教員をしながら、教育現場でのICT活用に特化したコンサルティング会社を経営しているのがスクールエージェント株式会社の田中善将さんだ。

田中さんは、元々はフルタイムでやりがいを感じながら教員として働いていたが、勤務校にて1人1台のChromebook導入を先導した経験から、ICT化の波が本格的にやってきた際に、教育現場が混乱することを危惧し、2018年に教育現場でのICT活用に特化したコンサルティング会社を立ち上げた。

教員の仕事を天職だと語る田中さんが、なぜ起業という選択をしてまで動き出したのか、その思いに迫った。

写真:田中 善将さん
田中 善将さん
スクールエージェント株式会社 代表取締役

郁文館夢学園の数学科現職教員。1人1台のChromebook導入を先導してきた経験をもとに、2018年、スクールエージェントを設立。2019年にはGoogle認定イノベーターの認定を取得。G suiteを機軸とした教育プロデュースや業務効率化サポートを行っている。主に関東の小中高向けにSAMRモデルに沿ったICT活用を推進。先生方の強みを生かし、活動内の情報密度を高めるICT活用を日本中に広めることをめざしている。


ブレることのなかった教員になる夢

——田中さんからは教員という仕事に対する並々ならぬ情熱を感じるのですが、教員になろうと思ったきっかけを教えていただけますか?

私は小さい頃から、学校という空気が好きでした。「今日は学校でどんなことが起こるんだろう」「何が学べるかな」と、毎日ワクワクしながら学校に通っていたんです。小学校1年生の頃から、絶対先生になろうと決めていました。

中学生では生徒会長を務め、進路面談では先生から「学校を代表して県で一番の高校に進学してくれ」と言われ、自分でも当然その高校に進むものだと思っていました。しかし、当時は部活のバスケットボールにも打ち込んでいたので、県の中でもトップレベルのバスケットボールの名門校からスカウトをいただいたのです。



その高校は決して偏差値の高い学校ではありませんでしたが、自分の意思でその高校に進学することに決めました。

今もその高校を選んで正解だったと心から思えていますが、あの経験は自分で進む道を選択することの大切さを学ぶ経験になりました。


——スポーツでスカウトされて高校に進学した後も、教員になる夢は持ち続けていたのでしょうか?

教員になるという夢はずっとブレないまま、高校卒業後は東京学芸大学に進み、教員を目指す仲間と共に学びの多い大学生活を送りました。でも実は、公立の教員採用試験には勉強不足で落ちてしまったんです。

その後、私学適性検査を受けて、最初に声をかけていただいたのが今も非常勤で務めている郁文館夢学園でした。一番に声をかけていただいたことがうれしくて、すぐに郁文館夢学園への就職を決めました。



働き始めてすぐに「なんておもしろい学校なんだ!」と衝撃を受けましたね。チャレンジする場所が豊富にあり、起業家精神の塊のような学校なんです。

先生方もみんな生き生きしていて、そんな先生たちと一緒に仕事をするのがとにかく楽しかった。そんな中で、私にとって転機となる出来事が起きたんです。


——それはどのような出来事でしょうか?

ある日の教員研修の場で、理事長が「バングラデシュに学校を作ることにした。うちから2名教員を派遣する。」と発表されて、「行くしかない」とすぐに思いました。

その頃、とにかくがむしゃらに仕事を頑張りたいと思っていた時期でしたし、自分たちで理想の学校づくりに挑戦できるチャンスなんて、あと20年はやってこないのでははないかと思ったんです。

自分の人生が大きく変わるタイミングだと、直感的に感じました。



すぐに「僕に行かせてください」と校長に直談判しました。実は当時の私は、1年契約の契約社員だったんですけどね(笑)。そのときは、そんなことは関係ないと思いました。

私の熱い想いが届いたのか、何人もいた候補の中で私がその1人に選ばれ、バングラデシュに学校を作りに行くことになりました。


教育の機会格差は、テクノロジーで解決できる

——実際にバングラデシュでの挑戦はいかがでしたか?

とても苦労しました。まず生活面で、クーラーもなく一晩で蚊が何百匹も入ってくるようなジャングルの中に住んでいたので、最初は食べ物も合わず体調も崩して、みるみる痩せていきました。そして学校建設までの道のりも、苦労が絶えませんでした。

土地選びから登記の確定、教育制度を確認しながらの学校カリキュラムの作成など、すべきことが本当にたくさんありました。正直、危険な目にも遭いましたね。最終的に現地の優秀な7名の先生と約50名の生徒が集まり、2013年1月に学校を開校させることができました。


——開校後はいかがでしたか?

開校後に直面したのは、バングラデシュの貧困問題でした。

女の子が夢を持ってうちの学校に入学しても、家庭の都合で結婚させられて退学するケースが後を絶ちませんでした。

バングラデシュでは結婚すると多額の結納金が花嫁の家族に入り、大きな資金源になるんです。子どもたちの将来の夢も、大人の事情で成す術なく叶えることができない状況に、大きな挫折感を味わいました。

また、雨季には国土の3分の1が沈んでしまう国なので、借金して買った鶏が水害で全滅してしまい、借金取りが家の全ての家財を取って行くケースもありました。「どうしたら生きていけるか、教えてください」と泣きすがられても、何もできない自分がそこにいました。


意気揚々と学校を作り、「教育はソリューションだ」なんて言いながら突っ走ってきた私にとって、できることはお金を肩代わりすることぐらいでした。

でも「なぜこの子は助けて、他の子は助けないんだ」という思いに駆られたんです。生徒にはお金を肩代わりし、空港で糞尿まみれでお金を要求する子どもたちには、冷たい態度をとる自分。

結局、自分も差別をしているんじゃないか、偽善者ではないのか、本気で教育に取り組もうとしているのに、これでは全然ダメだと、自分を責めました。

結局、3年2カ月バングラデシュに滞在し、挫折感を味わいながらも日本に帰ることを決めました。でも、発見もあったのです。


——どのような発見でしょうか?

教育の機会格差はテクノロジーで解決できる、という発見です。

大きなきっかけとなったのは、バングラデシュで学校が始まった2013年にGoogleがGoogle Classroomを発表したことです。

学習教材はインターネットの中に山ほどあるのに、当時はそれを活用するスキームがなかった。だから、ジャングルみたいな場所にWi-Fiが飛んでくるよう基地局を作りました。


そのおかげで、ジャングルの中でもプロジェクターがあればおもしろい映像を使って授業ができるようになり、教育の機会格差はテクノロジーで解決できるんだと、実感しました。

帰国後も、先生の質や環境によって教育の機会格差はバングラデシュと同様に日本でも生じていることに気がつきました。

そこで、日本でICTを取り入れた実践を重ね、実績を積み重ねていくことで、いつかバングラデシュにも還元していけるのではないかと考えています。今はそのための先行研究を日本でしているという認識です。


ICTは、先生自身の「自分らしさ」を生み出すための入り口

——先生という職業に対して、情熱もやりがいも感じている田中さんがなぜ、起業することになったのでしょうか?

帰国後、郁文館では2015年の冬にICT化に踏み切ることになり、私はプロジェクトリーダーを任せていただきました。

実際に予算やプランを立ててChromebookを1人1台導入するところまではよかったのですが、運営していく中でさまざまなトラブルが起きました。故障だけでも、かなりの数の対応をせざるを得ない状況に陥ったのです。



授業が終わって職員室に戻ると、いつも故障した機器を持った生徒が並んでいて、なんとか10分の休み時間で対応し、そのまま次の授業に向かうわけです。

ICTプロジェクトチームには私以外に4名いましたが、それぞれが授業や部活、担任業務などをこなしつつ、ICTプロジェクトも任されていたので、その対応が本当に大変で、私がやる意義ってなんだろうと、自問自答しながら過ごす日々でした。

そんな日々を4年間過ごす中で、「これは将来、日本中で同じような状態に陥るんじゃないか」という危機感につながりました

その頃私には先行して多くのミスを重ねた経験があり、ICT導入に関するノウハウも貯まっていました。頭の中には、効率よくICTを導入するための試金石があったんです。

そこで2018年に登記をして会社を設立し準備を始め、2019年11月に私が代表取締役に就任し、独立して歩み出すことになりました。


——教員の道を離れて起業するというのは、並大抵の思いではできないと思います。どんな思いが田中さんの背中を押したのでしょうか?

物みたいに偏差値で測られるとか、まるで自分が何かの歯車になることが前提というのではなく、子どもたちには自分が好きだと思う道を選んで進んでいってほしいという思いです。

そのためにすべき教員の仕事は、子どもたちがしかるべき教育を受けるための場所を整えて、その意志を言語化してあげることだと思っています。


私は学校が好きで、子どもが好きです。だから自分の義務は全うしたいし、中途半端なことはしたくない。

これからICT化の波が本格的にやって来たときに、確実に教育現場は大変な状況に陥るということが私には分かってしまった。だから、動いたのです。


——今は学校に対して具体的にどのようなサポートをされているのでしょうか?

一つは学校に常駐して、問題があった際に対応したり、授業デザインのサポートをしたり、研修を開催するなど、ICTに限らず学校運営をフルサポートしています。

さらに、コロナ渦でコールセンターサービスを新たに始めました。これは基本的には休日限定になりますが、アプリケーションにつながらない、ログインできないといった家庭で起きたICTトラブルを電話で解決に導いていきます。

実はこのサービスの反響が大きく、これからさらにご家庭でICTを使う機会が増えると思うので、ニーズが高まるのではないかと思っています。


——GIGAスクール構想の実現のためには、先生方のICTリテラシー向上は欠かせませんね。

私は、50分授業のうち全ての時間でICTを使う必要なないと思っています。

例えば、黒板に書く作業やプリントを配る時間をICTでまかなうことで、5分の時間を捻出することができます。最初はそこからで十分です。

コップが水でパンパンな状態なのに、ジュースを注いでもあふれるだけです。少しでも水を減らすことで、初めてジュースを注ぎ入れることができます。それを可能にするのが、ICTなのです。

ICTは、先生自身の「自分らしさ」を生み出すための入り口だと私は考えていて、ICTを活用することで生み出せた時間で、自分らしい授業を設計していただきたいと思っています。


——では最後に、今後の展望を教えてください

このGIGAスクール構想の本質的な実現のためには、日本全国の先生方がつながり、情報交換をする必要があると思っています。ですので、そういったプラットホームを作りたいです。

また、専門家が学校に入って来やすい仕組み作りにも挑戦したいと考えています。そうすることで、先生と専門家が一緒に探究的な授業を作ることができます。少し大きすぎる構想だとは思いますが、実現していきたいと考えています。

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