リアリティのある体験と対話が、世界の見方をガラッと変える。多様性を体感できるミュージアム「対話の森」
これまで世界50カ国以上、900万人を超える人々が体験し、日本でも23万人以上が体験したソーシャル・エンターテイメント「ダイアログ」。
そんなダイアログが、日本初の常設展示「対話の森」として、東京・竹芝に2020年夏オープンした。ハンディキャップや文化、国籍、世代を超え、出会いと対話を通し、お互いの多様性を体感できるミュージアムだ。
対話の森では、純度100%の暗闇を視覚障害者の案内のもと、視覚以外のコミュニケーションを使って楽しむ「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」、音を遮断するヘッドセットを装着し、音のない世界のプロフェッショナルである聴覚障害者に導かれながら、音声に頼らず対話をする「ダイアログ・イン・サイレンス」、高齢者とともに生き方について対話する「ダイアログ・ウィズ・タイム」の3つのダイバーシティを体験できるエンターテイメントがある。
多様性への理解と対話が持つ力、今の日本の教育について、創設者である志村真介さん、志村季世恵さんご夫妻と、ダイアログ・イン・ザ・ダークで長年アテンドとして活躍し、現在はダイバーシティラボの研究員である「ひやまっち」こと檜山晃さんに聞いた。
▶︎ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表
志村 季世恵(しむら きよえ)さん
▶︎ダイアログ・イン・ジャパン・ソサエティ代表理事
檜山 晃(ひやま あきら)さん
▶︎ダイアログ・イン・ザ・ダーク 元アテンドスタッフ、現ダイバーシティラボ研究員
30年前の新聞記事がきっかけで生まれた「対話の森」
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、DID)」との出会いや、日本開催に至るまでの経緯を教えていただけますか?
DIDとの出会いは、1993年4月の日本経済新聞の夕刊紙の海外トピックスでした。博物館を真っ暗にして、「闇の中で対話する」というコンセプト。
真っ暗な会場に森や都市が設営されて、参加者はグループで暗闇に入り、普段から目を使わない方が案内してくれて、最後はカフェでドリンクを楽しむという流れでした。
その内容にあまりに感動して当時の記事のコピーを今も持ち歩いているんですよ!いてもたってもいられず、日本経済新聞社に連絡をし、DIDの生みの親であるアンドレアス・ハイネッケ氏に手紙を書きました。
それが今日の、ダイアログ・ミュージアム「対話の森」誕生のきっかけです。もう30年前になりますね。
その後、1995年にイタリアで実際のDIDを体験しました。本当に真っ暗闇!しかもイタリア語の案内が理解できなくて、迷子になったんです。
そのとき、どこからともなく助けてくれる人がいて、「これは暗視ゴーグルをつけたスタッフかな?」と思ったのです。その人と一緒に外にでたら、当然ながら視覚障害のスタッフでした。
体験のコンセプトを十分に知っていたにもかかわらずそう思ったんですから、頭で理解することと、実際の体験とはこんなにも違うんだ、ということを思い知りました。
DIDに惚れ込み、日本でもこの体験を!と東京ビックサイトで実施されたのが、1999年のことですよね?
そうですね、1999年11月に東京ビックサイトで開催して、2日間で222人の方にご来場いただきました。日本人の習慣や感性に合わせて、暗闇体験後にあえて「対話の場」を設けました。
例えば海外で映画やオペラ鑑賞をしたら、参加者同士がその感動を分かち合いたくて、自然発生的に対話の場が生まれるんですね。だけど、日本だとそうはいかないですよ。
それをアンドレアス・ハイネッケに伝えて、日本版にカスタマイズしたんです。世界50カ国で展開されているダイアログの中で、唯一「コンテンツのカスタマイズ」が許されたのは日本だけなんですよ。
会場作りは私がすごくこだわって、わざわざ北海道の落ち葉を集めてビッグサイトに敷き詰めたり、バイオリンの生演奏を準備したりしました。でも、対話パートは何の説明もせず、「暗闇体験を終えた人が出て来るから後はよろしく。」と当日は季世恵さんに任せました(笑)。
そうなんです。私は何も知らないままその日を迎えて、事前説明もなくて無茶ぶりされましたね(笑)。
私はもともとセラピストをしていたのですが、末期がん患者さんのターミナルケア、子どもや育児に悩みを抱えるお母さんのカウンセリングなどをしていました。その前はずっと演劇をしていたので、「エンターテイメント」と「人の心を知っている」ことが任せてもらえた理由だと思っています。
当時超売れっ子セラピストでとても忙しかったんですが、そんなことは気にせず、進めたいプロジェクトとの本質的な相性を考えて、「彼女しか任せられる人はいない」って思ったんです。
リアリティのある体験と対話が、世界の見方をガラッと変える
檜山さんは、もう20年近くDIDでアテンドとして働かれていますよね?
そうですね。20年弱になりますね。
日本で一番多くの人たちを暗闇に案内してるよね。
体験の後、涙を流すお客様もいらっしゃると聞きましたが、涙の理由はどんなところにあると思われますか?
なんだろう…毎回暗闇から出て、季世恵さんが待つ対話の部屋に行くんですけど、みんなで「楽しかったね!」という話になるんですね。でも、それがただ楽しかったではなくて、体験を通して感じたことを、ご自身に引き寄せて、いろいろ思うところがあるからじゃないですかね。
涙を流される方や体験をじっくりかみしめている方と接して、「自分のやっていることは間違っていなかったな。」と思えるようになりました。
「対話のパート」がとても重要な役割を果たしていそうですね。
ひやまっちが言った「体験を自分に引き寄せて考える」という点ですが、「自分のどこに体験を引き寄せるか」は、人それぞれ違うんですね。
ぽろっと言った言葉が響いて涙を流される方や、暗闇の中でお互い協力したことに対して「人って素晴らしいな」って感動したり、暗闇で人とぶつかったことさえうれしいって感じたり。
さっきまでは満員電車があんなに嫌だったのに、暗闇の中で人と触れたら安心したとか(笑)
だから一人ひとり感じ方が違うことを、対話の場で共有してお互いを知れる。そこに価値があるから、対話の場はすごく大切にしています。
日本では対話をする機会が少ないので、貴重な時間になっているように思います。日本でも対話が習慣化されるともっと優しい世界になるではと思うことがあります。
日本では対話の習慣がないですよね。でも対話ってお互いを深く理解するのに大切なものだと思うんです。
日本の場合、目が見えない人、耳が聞こえない人と会ったとき、関わろうとするよりも「見ないでおこう」ということを美徳とするところがあります。
私が子どもの頃「あの人はなんで白い杖をついているの?」と母に聞いたとき、「見ちゃダメよ。」と母は教えたと思います。
「一人ひとり感じることが違う」と対話を通して知ることで、「人ってみんな違うんだ」と理解できますよね。
季世恵さんが「対話の場」を作るときに大事にしていることは何ですか?
例えばひやまっちと出会った人が、「ひやまっちはこういうことを知ってるんだ。私たちはこんなこと知ってるよ。」と相手のことを知って、自分のことを伝えて、「お互い知り合った上で、次がある」ということが大事かなと思います。
ダイバーシティやバリアフリー、ウェルビーイングをテーマにするプロジェクトはいくつもありますよね。でも、対話の森が一線を画すのは「当事者がここにいる」っていうことだと思うんですね。
ひやまっちは、暗闇を案内するとき以外も、日常生活でずっと目を使っていないわけです。参加者は暗闇を体験して劇的に感じ方が変わり、元の明るい世界に戻るわけですけど、でもそこに「変わらない人」がいるリアリティ。
その体験と対話を通して、世界の見方が変わっていくんだと思います。
教育=知識を与える授業+知恵に変える時間+出会い
今の日本の教育について感じていることがあれば、聞かせていただけますか。
ダイアログと出会った頃に、地元の学校で「地域に住んでいる障がい者の方を呼んで話を聞く」という授業に登壇しました。打合せの場で「檜山さんから見て、日常で何が大変かを子どもたちに教えてあげてください。子どもたちに何ができるかを一緒に考えたい。」と先生に言われて。
確かにおっしゃる通りです。でも、「僕の人生は【大変】が前提なんだな」と少し違和感がありました。
学校教育に、ダイアログを取り入れていただくとしたら、お互いゼロベースで出会い、それぞれが持つ大変さの違いを知り、感情や心の部分の共有ができればいいのかなって思います。
知識を与えていく授業と、その知識を知恵に変えていく時間と出会いが全部混ざったものが教育ではないかと考えています。
何年も前の話ですが、DIDでアテンドをしたひやまっちを気に入った、9歳くらいの女の子がいました。
「ひやまっちの本名を教えて!」と何度も質問してきたので理由を聞いたら、「お母さんと結婚してほしいから」って。お母さんはたぶんシングルマザーの方で、暗闇でアテンドするひやまっちの姿が頼もしく思えて「お父さんになってほしい」って思ったんでしょうね。
もしかすると、彼女自身が恋心に近い感情を抱いたのかもしれないです。これってまさに「出会い方」だと思うんです。
街中で白杖をついた人を見て、学校教育で「助けてあげましょう」と習ってしまうと、そういう気持ちにはならないですよね。
だから、その女の子の言葉に「この子は一生の自由を得たんだな」って思ったんです。自分にとって大切な人を選ぶ場面で、条件ではなくその人自身を見られるという本当の意味での選択の自由です。
対話の森を多くの小中高生に体験してもらいたいと思いました。
海外にあるダイアログでは、参加者の60%が子どもたちなんですよ。でも日本は3%にとどまっています。
「世の中には色んな人がいる」というダイバーシティを知って相手を受け入れられると、自己肯定感が上がります。10歳のときに自己肯定感が確立されると、大人になって気持ちの波はあれど、しっかりした自己を維持できると言われています。
おもしろいのが、「暗闇に入っていくと、子どもたちは先生を引っ張ってくれる存在になる」ということです。日頃おとなしい子の方が冷静に判断できたり、普段ガキ大将タイプの子の方が案外おっかなびっくりだったりね(笑)。
そうですね。学校って一度「自分のキャラクター」が周りに定着したら、違う自分を出しにくいし、その人の見方が固定されてしまう。でも暗闇に入ると、普段知ることができないお互いの良さを知る機会になるんです。
これからは、「小学4年生になったら暗闇に入りましょう、音のない世界を体験しましょう」ってことが当たり前になるくらい、対話の森が広く受け入れられたらうれしいですね。
今の教育はどうしても減点方式の考え方ですよね。70点取れても、できなかった30点の改善改良をして100点を目指す傾向があります。そうするとどうしても自己肯定感が育まれにくい。
でも多様性が認められる社会は、それぞれの良いところを持ち寄って自立していく方が、それぞれの違いをみんなが認めやすくなります。
そう考えると、褒めることが大事だなって思うんですね。認められたという思いは、その子の一生を変えるきっかけになり得るから。
ダイアログの暗闇に入ると、子どもたちは自己肯定感がグッと上がるというデータも出ています。それは「肯定的な出会い」による結果だと信じています。
以前、萩生田文部科学大臣が、対話の森のダイアログ・イン・サイレンス(DIS)にご参加くださいました。別の日にも、DISを小学校で実施した際、大臣が視察でいらっしゃいました。国からも注目されているんだな、という手応えはあります。
日本の教育は、もう画一的なままではいられないと思うんですね。以前、震災の後に東北のフリースクールでDIDを実施したことがあるんですが、関わった子どもたちがすごく元気になった。
暗闇を一緒に作ったり、アテンドたちと対話をしたり、その1週間のイベントが終わった頃、参加した不登校の子どもたちの半数が、また学校に通えるようになったんです。
それくらいダイアログの体験は人を変える力があります。ぜひ、たくさんの子どもたちに対話の森やダイアログプロジェクトに触れていただきたいですね。
対話の森について
世代。ハンディキャップ。文化。宗教。民族。
世の中を分断しているたくさんのものを、
出会いと対話によってつなぎ、
ダイバーシティを体感するミュージアム。
この場で生まれていく「対話」が展示物です。
電車でのアクセス
東京都港区海岸一丁目10番45号
アトレ竹芝シアター棟 1Fダイアログ・ミュージアム「対話の森」
松町駅(JR・モノレール) 徒歩6分
大門駅(地下鉄大江戸線・浅草線) 徒歩7分
竹芝駅(ゆりかもめ) 徒歩3分