「分かり合えない」は、どうしたら越えられますか?勇気あるリーダーシップで、学校を「もしかしたら」の想像力を柔らかく持てる空間に。
「分かり合えない」ことで悩んだことはありますか?
もしかしたら現在進行形で悩まれている方も、多くいらっしゃるかもしれません。分かり合えないを越えるにはどうしたらいいのでしょうか。
今回は、対立に満ちた社会で分断された人々の心をつなぐために、NVC(非暴力コミュニケーション)を形にしたマーシャル・B・ローゼンバーグさんの著書『「わかりあえない」を越える』の翻訳にも携わり、NVCの認定トレーナーとしてNVCの学びと実践の場をつくる今井麻希子さんに話を聞きました。
国際基督教大学卒業後、民間企業勤務を経て独立。NGO活動に携わる中「社会課題の解決には、人と人とが心を通わせ合う関係性の構築が不可欠」と痛感し、「関係性」をテーマにしたリーダーシップ開発、コーチング、組織開発、教育プログラム開発などに活動の軸を移す。「人が関係性の中でお互いの可能性を解き放ってゆく姿」の強さと美しさに魅了されることが活動の原動力。『「わかりあえない」を越える - 目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』共訳、『全人的医療を支える共感的コミュニケーション・NVC』監訳
「分かり合えない」を越えたいですか?
ーー学校の中でも、教職員間や、教員と保護者、学校と地域など、「分かり合えない」ことで悩んでいる方たちがいらっしゃると思います。まずストレートにおうかがいしたいのですが、どうしたら分かり合えないを越えることができるのでしょうか?
この問いをいただくと「『分かり合えない』を越えたいですか?」と、ふと尋ねたくなる自分がいます。というのも、「分かり合わなければならない」という息苦しさを感じている人も多いように思うんです。
例えば今、ダイバーシティ教育の大切さや、さまざまな個性を受け入れることの大切さが言われていますが、頭では分かるけれど、分かり合いたいと思えないときもある。そんなとき、「分かり合えないを越える」が「しなくてはいけないこと」という「べき」になり、モヤッとすることもあるんじゃないかなって…。
人はそれぞれ違うし、自分だって自分のことをよく分からないこともある。ですから「分かり合えないを越えよう」の前に「分かり合うってどういうこと?」とか「分かり合いたいと思えないこともあるよね」などと、感じていることや思っていることを、素直に、安心して共有し合える場こそが必要なのではないかと感じています。
そういう、等身大の言葉を語れる場があることで、人の心にはいろいろな葛藤があるのだなと気づいたり、相手の言葉の奥にある「願い」に関心が向けやすくなっていく。その結果として、分かり合えないを「思わず」越えていけるような体験が立ち上がると思うんです。
ーー確かに「分かり合いたい」というのは、一方的な思いでもありますよね。
「分かり合いたい」の中にいろいろな思いが詰まっていますからね。それに「分かり合う」という言葉の捉え方も、人それぞれですよね。では、お互いが心地よく受け止められる「分かり合えている状態」って何だろう?と考えてみたら「心を通わすことができている状態」という表現が、よりしっくりくるような気がして。
先ほどの「分かり合うことに関してのモヤモヤを安心して話せる状態にある」ということも、「心を通わせ合うこと」につながる行為ですよね。そんな場をつくる上で、感情やその奥にある願いを受け止め合うことを伝えてくれるNVC(非暴力コミュニケーション)が、力をくれると感じています。
ーー「思わず」分かり合えないを越える前段階として、モヤモヤを共有できていたり本音を話せたりするような、関係性の質の変化が欠かせないのだと感じました。
「感じているけれど、言えない」体験って、結構ありませんか?そして、そのルーツは、幼い頃にあるように思うんです。
例えば、私の記憶にあるのは幼稚園に通っていたときのことです。幼稚園というのはいわゆる「社会に適合するための教育」というものを初めて体験する場です。先生をはじめとした大人たちが「こうしなさい」と指示することに従うことを学んでいく。一方で、子どもは、目の前に起きていることをありのままにみていたりします。
先生は「みんな仲良くね」と言うけれど、当の先生たち同士が、ちょっとギクシャクしているな、とか。「どうやら園長先生がいると、先生は緊張するみたいだな」とか。「言っていること」と「やっていること」の不一致感はどうしてあるのだろう?大人の社会には、感じたことを口に出すことを難しくさせている「何か」があるんだろうなと思ったんです。
ーー「感じているけれど、言えない」は、多くの方が経験していることかもしれません。
普遍的なことかもしれませんね。例えば、学校で「いじめ」があったときに、本当は止めたいと思うけど、言ったら自分がターゲットになるかもしれないと思うと、怖くて言えない。だいたいは言えなくて飲み込んでしまうし、なかったことにしてしまう。
だとしたら、何があれば、安心して対話ができるきっかけがつくれるんだろう?私は「立ち止まるための余白」のような存在が必要なのではないかと思っています。
「誰が悪いか」といった悪者探しをする代わりに「この人の内面で何が起きているのだろう?」という風に、双方の行動の背後にある感情や願いに意識を向けていく。「もしかしたらあの人にもちょっと辛いことがあったのかな」とか「もしかして、分かってほしかったのかな」とか。
そういう「もしかしたら」の想像力を柔らかく持てるような空間が、学校や組織にちょっとずつでも生まれてくると、お互いが少しずつ、自然と歩み寄れるようになると思うんです。
「葛藤」の居場所をつくろう
ーー「もしかしたら」の想像力を柔らかく持てるような学校にしていきたいと願っている先生は多いと思います。
最近「対話」がキーワードになっていますが、もっとカジュアルに気軽なところからでもスタートできるのではないかと思っています。
例えば、よくワークショップの前段に取り入れられている「チェックイン」と呼ばれる方法があります。今自分がどんな状態かを一言声にする、というものです。いきなり話し合いに入る前に、例えば「実は緊張しているんです…」みたいな等身大の声を、ポロッと言葉にしてみる。それをアドバイスしたり否定したりすることなく、ただ受け止めてもらえる体験をする。
それが「不安な気持ちもOKなんだ」とか「人間だから、そういうこともあるよね」という、気持ちがほぐれる機会になります。身構え感がほぐれたところに、想像力を耕してくれる余白が生まれます。これが、日常の中で、気にかかったことを気軽に声にできたり、言ってみようかと思えるスペースにつながると思うのです。
ーーその空間は、みんなで作っていけるものなのでしょうか?例えば教室で考えたときに、先生と生徒の関係性の中では、先生のあり方に左右されるような印象があります。職員室でいえば、管理職の考えやあり方に影響を受けそうだなと。
確かに、教室でいえば、先生という存在がもたらすインパクトは大きいですよね。それに、同じ学校の中でも、各先生方がそれぞれ大事にされているものがありますから、いきなり全体で同じことを進めるというのは必ずしも求められていないし、難しいです。
NVCに関心のある先生方と話をしていると「自分たちの組織に変化を起こすのは難しい」という声をよく聞きます。そして、思いを共にする先生たちの間で「こんな挑戦をしてみたよ」とか「こういうことがあってがっかりしたんだ」といった、喜びや嘆きを共有することが、励みになっているようなのです。何ごとも「試行錯誤」から。そして、その試行錯誤が、楽しめるものであると素敵ですよね。
お互いの挑戦を聞くことで、勇気を受け取り合う。そんなスモールステップが踏み出せる場に、可能性を感じています。
ーースモールステップを共有し合っていく場、大事だと思います。
以前、医療現場で働く方を対象にしたNVCの学びの場を開催していました。NVCの本を題材にしながら、各回1時間ほど、数週間かけて学ぶ場です。医療の現場も、医師や看護師、患者さんという立場の違いがあり、学校の現場とも少し似たチャンレンジがありますよね。
そこである看護師さんから、医師との間に緊張が生じたやりとりがあったとき、勇気を出して対話を試みたというエピソードの共有がありました。「お互い、患者さんの安心を守りたい気持ちがあるからこそ、望むほどそれができていないことにイラっとしてしまったのではないか。その結果、大切にしたい気持ちが伝わりにくいコミュニケーションになってしまって残念に思う…」。そんなことを医師に勇気を出して伝えたら、関係が柔らかく変化したそうです。自分が大事なものを軸にちょっとでも行動してみる。
うまくいかないかもしれないけれど、でもその願いを持って動くことには意味があるんだと、信じていく。それってまさに、先生方が子どもたちにも伝えたいことではないかと思うんです。それは「不安を隠して大丈夫なふりをする」というのとは違う強さですよね。等身大で生きていながら、他者との関わりを育んでいける「しなやかな強さ」。今、そういうものが求められていると思います。
先生は、いろいろなシチュエーションにおいて、さまざまな立場や価値観の狭間で板挟みになることも多いのではないかと想像します。そこにはたくさんの葛藤があると思うんです。葛藤がケアされたり、意味があるものとして受け止められること自体が、職業的にも特に必要じゃないかと感じています。
感情が動くのは、ニーズがあるから
ーー今井さんはなぜ、NVCを広めていきたいと思われたのでしょうか?
人は一生懸命思いを込めて話しているつもりでも、自分でも本当の願いに気づけていなかったり、その願いがもっとも伝わりにくい方法で表現をしてしまったりすることがあるんだと気づいたとき、その切なさみたいなものに圧倒されたからかもしれません。
お互いのニーズ(願い)はとても素敵なもので、それが叶ったら、どんなにお互いの人生が豊かになるかということが本当に伝えたいことなのに「あなたがこうしてくれないことが、どんなにひどいことか分かる?」といった表現で、全く真逆なことを伝えてしまっている。それによって生じる対立や分断の構造は人類全体の課題にもつながっている。それは切ないし、もったいないことだと思います。
NVCは「教えるもの」というよりも、「体験を通じて分かち合うもの」だと感じています。というのも、NVCが提示する「正しい・間違い」を越えた世界とは、「べき・ねばならない」で習得した「学び」を「学びほぐす」ことによって出会えるものだからです。
「こうすべきでないよ」と「正しく、導く」代わりに、「何が大切なのだろうね」と立ち止まったり、違和感も大切な声として受け止めること。そこからお互いに学び合うということそのものが、私自身が歩みたい挑戦なんです。
ーーNVCでは、今の話にもあった自分のニーズ(願い)に気づくということが一つのキーワードになっていると思いますが、どうしたら自分のニーズに気づくことができるのでしょうか?
NVCでは「感情が動くのは、ニーズがあるから」と捉えています。つまり、感情が動いたときが、ニーズに意識を向けるチャンスとも言えるんです。
自分がつい怒っちゃうとか、ついこだわっちゃうみたいなところにも、実は何かニーズがあるからこそなんですよね。 他の人はスルーするかもしれないけれど、気になっちゃうとか。そこには確たるニーズがあるかもしれませんよね。
ーー今回のテーマは「分かり合えないを越えるには?」としているのですが、 誰かと分かり合えないを越える前に、まずは自分のことを知る・大切にすることがスタートかもしれないと、お話を聞いて思いました。
どんな感情にも願い(ニーズ)がある。つまり「自分の中に湧いている感情をなきものにしない」ということでもあります。
よく、自己共感(自分の感情やニーズに寄り添うこと)は難しいと言われますが、それももっともなことですよね。自分が怒っていてキャパシティがないときには、「自分のニーズって、何だろう?」と冷静に立ち止まるゆとりはないかもしれません。
でも「あ、私って今頭に来てるんだ」とか、「体がガチガチしていて、呼吸も浅いな」みたいな感じで、自分の中に起きている反応を受け止めてあげることだったら、比較的無理なくできる。そんな風に自分の体験に寄り添ってあげることから始められたらと思っています。
勇気あるリーダーシップを
ーーどうしても分かり合えない、分かり合いたいと思えない関係性もあると思います。そのようなとき、良い離れ方はありますか?
本当のニーズ(願い)に触れると、少なくとも相手との人間的な心の通い合いがあった上で選択することができます。
選択肢としては「離れる」かもしれないけれど、それは、相手を否定するのとはまったく違う質のものになるんです。「自分がこんな不快な思いをするのは、あの人のせいだ」という考えに囚われていると、自分のニーズに気づくことが難しい。
自分が本当に望むことが自覚できず、また、それが相手にも伝えることが難しい状況で言葉を重ねて、「分かり合えなさ」に消耗してしまいます。自分の人生を同じ消耗パターンから救ってあげるためにも、反応している自分に立ち止まり、双方のニーズに意識を向けることに、まずはエネルギーを注げるといいですよね。そこから、それぞれのニーズをより建設的な方法で満たす方法を、共に選択していくことができるのです。
ーー分かり合えないから逃げるというのは、自分がより自分らしく生きることから逃げることに近いかもしれないと思いました。
誰かのせいにして、目の前の関係性をあきらめる代わりに、「こういうことも可能じゃないかな?」と、新しい捉え方を提案する力に変えていく。「何言ってるの!」と言い争っているようなときも、感情を受け止め「何か大切なことを伝えようとしているのかな?」と関心を向けていく。
そして「それを大事にするために、どんな選択肢があるのかを考えていこう」と声を上げていく。それは「共に道を拓く」力であり、リーダーシップの実践でもあります。
思いやりと共に、伝えたいこともしっかり声にする。それって、勇気がいることですよね。でも、勇気が必要のない人生なんて、存在しないと思いませんか?失敗するかもしれないけれど、勇気を持って、大事なことを手放さずに、大切に育んでいく。それが、教育の持つ大きな力だと思っています。学びの場とは、希望の生まれる場でもあると思うのです
▼NVCについてさらに詳しく学びたい方は、こちらの記事もぜひご覧ください。
・先生にこそ「安全基地」を。自分にも周りにも優しいコミュニケーション「NVC」とは?
・【連載】ゼロから学ぶNVC(全5回)
〈取材・文:先生の学校編集部/写真:ご本人提供〉