勝ったらうれしい、負けてもうれしい。オーダーメイドするような感覚で誰もが楽しめるスポーツを創る「ゆるスポーツ」
「ベビーバスケットボール」「500歩サッカー」「ブラックホール卓球」…。一見ヘンテコで風変わりなスポーツの数々を開発しているのが世界ゆるスポーツ協会だ。
マジョリティではなく、マイノリティの視点に立ち、個別具体的な個人に向けてオーダーメイドするかのように生み出される競技の数々は、一般的に想起するいわゆる「スポーツ」とは一線も二線も画している。
教育委員会や学校に研修等で呼ばれることもあるという彼らが、社会に提案しているものは何か。ゆるスポーツの事例から、インクルーシブ教育に通じるエッセンスを探るため、事務局長の萩原拓也さんにお話を聞いた。
システム会社にて教育システムのコンサルタントや、競技団体での広報業務を経て、2015年に事務局長として、世界ゆるスポーツ協会を設立。スポーツクリエイターとして、富山県氷見市の「ハンぎょボール」をはじめとするさまざまなゆるスポーツの開発に携わる。また、企業や学校で、ゆるスポーツ作りの授業を行い、ゆるスポーツの作り方だけでなく、考え方やそれを生かした問題解決方法を伝えている。
ミッションは、スポーツ弱者を世界からなくすこと
——世界ゆるスポーツ協会の活動について教えてください。
ゆるスポーツは、年齢、性別、運動神経、運動経験、障がいの有無に関わらず、誰もが楽しめるスポーツです。私たち世界ゆるスポーツ協会は、2015年から活動を始め、これまで100種類以上のゆるスポーツを開発してきました。
私たちのミッションは、スポーツ弱者を世界からなくすこと。スポーツ弱者とはどのような人たちかというと、必ずしも、足が不自由だとか目が見えないといった身体的な障がいがある方たちを指しているわけではありません。
私たちが表現するスポーツ弱者とは、身体的な要因、物理的な要因、心理的な要因で、日常的にスポーツを行っていない・スポーツができない人を総称したものです。
身体的な要因とは、障がいや、お年寄りや小さな子どもなど身体的な機能を理由とするものです。物理的な要因とは、一緒にできる仲間がいないとか、近くに施設がないとか、物理的にスポーツをする環境にないことを指します。そして最後に、心理的な要因です。スポーツに対する苦手意識や嫌悪感があったり、ゲームなど他のことを楽しんでいてスポーツに興味関心がない場合も含まれます。
——スポーツ弱者という観点は考えたことがなかったです。
文部科学省の調査によると、20歳以上の週1日以上の運動・スポーツ実施率は52.3%だそうです。そう考えると、実は多くの人がスポーツ弱者と言えるのかもしれません。例えば、体操のとある金メダリストは、大学の体育の単位を落としそうだったくらい苦手な種目があったそうです。どんなに優秀なアスリートでも、競技が変わればできないことは多い。
スポーツというものは、それぞれの環境やルールに適応した人たちが、その中で優れた結果を残しているということなのです。逆に言えば、普段スポーツに慣れ親しんでいない人に向けても、新しいスポーツを開発すれば、スポーツ弱者はいなくなる。そう信じて取り組んでいます。
——見方を変えると、世界の捉え方も変わりますね。そもそも、なぜスポーツ弱者をなくしたいと思われているのでしょうか?
これは当協会が活動を始めるに至った経緯でもあるのですが、当協会の代表である澤田智洋は、スポーツが苦手、どちらかというと嫌い、である上に、視覚障がいがある息子さんがいます。
2015年当時は、東京2020オリンピックの開催に向けて、社会におけるスポーツ熱が非常に高まっていた時期でした。そんな中で澤田は、「自分たち親子が楽しめるスポーツがないのはおかしい。既存のスポーツを楽しめないのは、自分たちが悪いからだろうか?いや、そんなことはない」と考え、発想を転換させて、自分たちのようなスポーツ弱者でも楽しめる新しいスポーツを創ろうと動き出したことから始まりました。
そんな澤田に誘われた私は、以前スポーツ関係の仕事をしていたこともあるほど、大のスポーツ好きで、スポーツすることのメリットをたくさん知っています。まず、スポーツをすると健康になります。ある自治体では、お年寄りが定期的にスポーツをしていた結果、医療費が一人あたり年間数万円削減できたそうです。
税金の多くが高齢者の医療費に使われている今の日本において、医療費が削減できれば、その分を例えば教育分野の投資に回すなど、社会的メリットは大きいはずです。さらに、スポーツをするとストレス発散になり、友達やコミュニティもできます。
こんなにたくさんのメリットがあるのに、大半の人たちがスポーツをしていないという状況は、社会的にもったいない。そんな状況を変えたくて、世界ゆるスポーツ協会を立ち上げ、スポーツ弱者をなくしたいと活動しているのです。
勝ったらうれしい、負けても楽しい
——世界ゆるスポーツ協会では、これまで100種類以上のスポーツを開発してきたそうですね。例えばどんな競技があるのでしょうか?
例えば、高齢者に人気の相撲を再発明した「トントンボイス相撲」。これは、声でプレイするトントン相撲で、プレイヤーは、装着したマイクに向かって「トントントントン」と声を出します。その声の大きさに応じて、目の前にある土俵が振動します。土俵が揺れることで、土俵上にいる紙でできた力士が動き、相撲を取るというものです。
実はこの「トントンボイス相撲」は高齢者の誤嚥性肺炎を予防するために開発されたもので、声を出すことで、高齢者に必要な「喉のリハビリ」になるんです。誤嚥性肺炎は、喉の機能が低下することによって食べ物がうまく飲み込めなくなり、気管に入ってしまうことで肺炎を誘発してしまうという症状で、近年では日本の高齢者における死因の上位に入るほど大きな問題となっています。
予防策として、喉の筋肉を鍛えるために、高齢者施設などでは声を出すトレーニングとして童謡を歌ったりするのですが、中には童謡を歌うことに抵抗感を抱く方もいます。そんなお年寄りでも、能動的に、楽しく声を出したくなるようなコンテンツを考えて生まれたのが、「トントンボイス相撲」です。
——発想がすごくユニークで楽しそうな競技ですね!他にはどんなものがありますか?
「イモムシラグビー」という競技があります。この競技は、専用のイモムシウェアを装着して5対5に分かれ、ずいずいとほふく前進をするか、ゴロゴロと転がるかして得点を競うラグビーです。
これは肢体不自由である知人のために作った競技です。車椅子を使用している人の多くは、車椅子を自宅内に乗り入れず、玄関から這って行動しているとのことで、床を這うのが得意なのだそうです。ゆるスポーツでは、基本的にハンデを与えないルールを前提にしているので、参加者全員同じ条件の中で、車椅子を使っているある1人の人がが活躍できる競技を考えた結果、「イモムシラグビー」が生まれました。
——「トントンボイス相撲」も「イモムシラグビー」も、具体的なプレイヤーを想定してルールなどがデザインされているのですね。
はい。私たちは、ユニバーサルデザインを目指さずに、マイノリティデザインのアプローチを取っています。ユニバーサルデザインは、あくまでマジョリティ(多数派)を基準にして枠を広げていった結果、マイノリティも包括しているという考え方だと捉えています。
一方でマイノリティデザインは、個別具体的な個人にフォーカスし、そこから同心円を広げていった結果、他の人にとっても価値のあるデザイン、発想が生まれる競技になるというものです。誰かのために作ったものが、マジョリティにウケないとも限りません。言ってしまえば、誰もがマイノリティなので、オーダーメイドするような感覚でいつも考えています。
——新しいゆるスポーツを創る上で、大切にしている考え方や発想の仕方があれば教えてください。
基本的な考え方として、「スポーツをしよう」ではなく、「楽しいことをしよう」というのがベースにあります。それも、ニッコリと笑顔になるようなものではなく、感情が爆発して笑いころげてしまうようなレベル。その楽しさを追求するために、独自の5ヶ条なるものを作っているので紹介します。
1. 年齢・性別・運動神経・運動経験によらず、誰もが楽しめる
「どの競技を誰でも楽しめる」というのは、難しいです。ではなぜ、ゆるスポーツは「誰でも楽しめる」と堂々と言えるのかというと、その人が楽しめる競技がなければ、新たに創るからなんです。だから私たちは、数多くの競技を生み出しているのです。
2. 勝ったらうれしい、負けても楽しい
ゆるスポーツは勝敗をはっきりつけず、ルールもあやふやなのだろうと勘違いされやすいのですが、そんなことはありません。ゆるスポーツのルールは厳密で、反則もきっちり取りますし、勝敗をはっきりさせます。なぜなら、スポーツは勝ち負けがあるから楽しいし頑張れるからです。その場がフェアでなければ、競技者は安心して楽しめません。だから「勝ったらうれしい」「負けたとしても、単に悔しいだけでなく、試合そのものや人との交流が楽しかったと言えること」を大切にしています。
3. 見た目やルールが笑える
おもしろいことは、誰にとっても良いことだと思うのです。おもしろいこととおもしろくないこと、どちらをしたいかと聞かれたら、誰でもおもしろい方を選ぶと思います。だからこそ、思わず笑ってしまうおもしろさのあるデザインを大事にしています。
4. 人に共有したくなるネーミングやデザイン
これもおもしろさの追求につながる話ですが、最初にゆるスポーツに触れた人が、他の人に言いたくなる、見せたくなるようなものをいつも考えています。最近の情報伝達は主にSNSを中心とした口コミで行われることも多いので、人に伝えたくなるという視点はとても重要です。
5. 社会課題を解決するもの
ここで言う社会課題とは、決して大きなスケールのものではありません。社会の最小単位は“あなたと私”と言われており、人が複数いて、そこで起きているあらゆる困りごとは社会課題であると言えます。友達とのけんかも、クラスの雰囲気が良くないことも、社会課題です。身近にある社会課題を自分ごととして考えていくことで、いろいろな発想や課題解決のチャンスは広がっていきます。
「知識と観察と推理」で考え続けることの大切さ
——個別具体的な個人にフォーカスし、オーダーメイドするように環境をデザインしていくという視点は、学校をはじめとする教育現場においてもとても重要だと感じます。インクルーシブ教育の文脈では国連から勧告を受けたこともありますが、ゆるスポーツに携わる萩原さんの視点から、今の日本の学校教育の現状についてどう思われますか?
学校の先生は日々、本当にご尽力されていると思います。私の息子も多動なところがあるのですが、先生方はかなりケアをしてくださっていて、彼は今では林間学校のリーダーを任されたりするなど、その成長ぶりに目を見張るほどです。ですので、少なくとも私が見ている範囲では、支援が必要な子に対して配慮が欠けているなどと思うことはありません。
その中で私が思うことは、先生たちだけで問題を解決しようとするのではなく、もっと子どもたちの力を借りて協力してもらってはどうかということです。
例えば、いつも支援が必要なAさんのために、「今日はAさんにとって楽しい朝の会を考えてみようか」といった形で、子どもたちに材料を伝えながら考えてもらう。そして、その部分での運営を少しずつ子どもたちに委ねていくといいのかなと思います。
——子どもたちに協力してもらう。なるほど。でも簡単にできるでしょうか?
大人が働きかけてあげられれば、きっとできます。ゆるスポーツ協会として、よく教育機関に呼んでいただくことがあるのですが、時々残念に思うことがあります。「オリジナルのゆるスポーツを考えてみてください」と事前にお伝えして、後日訪問した際にどんな競技を考案したのか説明を受けるのですが、子どもたちに「どう?これおもしろそう?」と聞くと「おもしろくなさそう」と答えるんですよ。あれれ、と。
どうやら先生たちが先回りして考えてしまい、この程度がいいだろうと決めてしまったようなんです。そこで、私が子どもたちと対話してみると、どんどん意見が出てきたので、先生方も驚いていました。
子どもの発想は無限大だと言われますが、彼らは意外と、ここまでは言っていい、ここまではやっていい、という具合に、大人の顔色を見ながら自身の行動に制限をかけていたりします。私たち大人は、そうした枷(かせ)を外して、子どもたちの想像力や創造性、挑戦の範囲をもっと広げてあげるような働きかけや問いかけが必要です。
——どうやってその枷を外すような問いかけができるのでしょうか?
私が小学生のときに知って以来、大切にしている言葉があります。シャーロック・ホームズに出てくる「探偵に必要なのは知識と観察と推理」という言葉です。
知識がないと、今自分が選べる選択肢がわからない。観察をしないと、今の状況がわからない。推理(思考力)がないと、考えられない。ほんの少しの働きかけで、子どもたちは変わります。そのスイッチがどこにあるかを、この3点セットを駆使しながら探し続けなければいけないのだろうなと、私自身いつも思っています。
先生方は知識は十分にお持ちだと思うので、子どもたちを観察し、どのような問いかけをしたらどう行動が変わるのかを思考すること。そしてその結果を観察し、次の思考につなげることが大切だと思います。
——観察しながら、思考しながら、スイッチを探し続ける。それは子どもを取り巻く全ての大人にできることですね。
そう思います。ただ、気をつけなければいけないことは、思考にもバイアスがかかるということです。そもそも、バイアスがかかることによって脳は効率的に判断を下せるようになるものなので、バイアスがかかること自体は自然なことです。
大事なのは「何事もバイアスがかかるものだ」と理解することと、場合によってはそのバイアスを敢えて外して考えるということです。特に子どもたちはバイアスがたくさんかかった存在なので、外してあげないといけません。
新しいゆるスポーツを一緒に考えるときに、子どもたちはよく「危ない行為をした場合には反則です」と言ったりするんです。「危ない行為」というのは、子どもたちの中である程度のコモン・センスがあるからそのコミュニティの中では通じるわけですが、もっと対象を広く考えたときには、その表現ではルールとして成立しません。「危ない行為」とはどういうものか、改めて自分たちで考えて、定義してあげないといけない。
言語化して整理することによって、改めてその対象に対する理解が深くなったり、逆に従来の発想に捉われないアイデアを考えたりできるのです。ですので、私たち大人は、どこにバイアスがあるのかに気づき、ときにはそのバイアスを外して言語化を促す問いかけをしてあげることが大切かなと思います。
——今のインクルージョン教育は、もしかしたら、「こういう子にはこう対応したらいい」という従来の考え方に基づいた知識優先の対応になっているのかもしれませんね。もっと観察や推理の要素をプラスしていくと、ヒントが見えそうな気がしました。
世の中の価値観やトレンドは次々に変わります。その中で自分の考えや価値観はおかしくないかと振り返ること。なにも最新のトレンドに合わせなくてもよくて、その状況を俯瞰して見られることが大きな差になってくるのかなと思います。
私たちがゆるスポーツを創るときも本当にトライアンドエラーの繰り返しです。仮説を立てる、やってみる、振り返る、そしてまた次のアクション、このPDCAを高速で回します。何か一つ競技を考えたとき、もしその競技がつまらないとか、想定した通りに人が動いてくれないなら、それはやる側ではなく、全ては作った側の責任なので、また考えて、やってみて、出てきた問題にまた対処すればいい。
ぜひ先生たちも、発想の枷を外して、子どもたちと一緒に「おもしろい、楽しい、良い」と思うことに挑戦してみていただきたいなと思います。間違えたり失敗したりしても、そもそも正解はありません。正解がない問いに対して、ベターなものを自分たちで考え続けることが大事だと思います。
<取材:先生の学校編集部 / 文:鈴井 孝史 / 写真:ご本人提供>