教員・アーティストらが協働してつくる「カマクラ図工室」とは? 学校外の価値観に触れることで変化した、子どもへのまなざし
“社会全体が図工室”をコンセプトに、子どもたちと一緒にユニークな活動を展開する「カマクラ図工室」。
図工室という名前だが、作品を作るだけの場ではない。理念を共有する教員やアーティストら6人が集い、子どもたちが山や海などのフィールドで、体当たりで自分の力を試す場づくりを行っている。
この活動の主宰者である神奈川県の公立小学校教諭の髙松 智行さんに、活動を始めた理由や目的、サードプレイスを持つ価値について詳しく話を聞いた。
1976年京都府生まれ。横浜国立大学卒業後、神奈川県の公立小学校や横浜国立大学附属鎌倉小学校の教員として美術館を活用した鑑賞教育に携る傍ら、美術館を舞台にした子どもたちのドキュメンタリー映画や現役小学校を舞台にしたアートプロジェクト「鎌倉なんとかナーレ」の企画者として活動するなど、学校の内と外を行き来しながら理想の教育のカタチを模索中。2014年からは“社会全体が図工室”をコンセプトにした「カマクラ図工室」を主宰し、現職教員やアーティストと共に子どもたちの”未定調和”の旅をサポートしている。
子どもの自立を引き出すのは「寄り道」
——髙松さんは公立小学校で教諭をしながら「カマクラ図工室」を主宰されているそうですね。「カマクラ図工室」とは、一体どのような活動なのでしょうか?
僕は現在、公立小学校の通級指導教室で働きながら、小学校教員やアーティスト、美大教員、糞土師など立場の異なる6人の「見守り師」と一緒にカマクラ図工室を運営しています。
主な活動は、夏休みの期間を利用した合宿「山の学校」、その事前交流会である美術館での対話型鑑賞会、「山の学校」での経験を元にしてさらに社会との接点を増やしていく「海の学校」の3つです。
メインの活動である「山の学校」は、拠点である神奈川県鎌倉市を飛び出して長野県上田市に向かい、子どもたちが親元を離れて過ごす5日間の合宿です。合宿といっても用意されているのは宿だけ。ご飯は用意されていませんし、決められた予定も一切ありません。
そのため、子どもたちは旅の道中でさまざまなヒト・モノ・コトと出会い、自分たちで楽しいことを見つけ、生み出していく必要があります。社会全体を図工室に見立て、偶然出会ったことから何かおもしろいことを創造するというコンセプトの合宿なのです。
——おもしろい取り組みですね!何を目的として活動しているのでしょうか?
カマクラ図工室の目的は、子どもたちが学校・家庭・地域で身につけた力を実社会で試すこと、また、学校教育の枠からはみ出してしまうような子どもがありのままの自分を試すことができる場づくりです。
子どもたちが自分の力を試すためには、自立して動く必然性が必要。そして、自立を引き出すのは「寄り道」だと考えています。何が起こるか分からない場は、寄り道の宝庫。思わぬハプニングがたくさん起きますが、その中で子どもたちはクリエイティビティを発揮していきます。
ハプニングの中で子どもたちが自身の力を存分に発揮できるように、何が起きても命の危険がない限り見守るのが「見守り師」である大人の役割です。僕は教員という職業の特性からか、つい助け舟を出したくなる瞬間があるのですが、毎回グッとこらえて見守っています。
「山の学校」におけるハプニングの代名詞といえば、旅の道中で財布を落とし、合宿中の食費がゼロになるという事件です。見守り師の大人たちにとっては、もはや恒例行事で、「今年は誰が落とすのかな」なんて楽しみにしているくらいです(笑)。
でも実は、ハプニングこそが旅の醍醐味で、それがきっかけで宿近くの川で魚やザリガニを獲ったり、道中たまたま出会った農家さんのお仕事を手伝って食材を譲ってもらったり、お金がなくてもどうしたら5日間の合宿を乗り切れるか、子どもたちが知恵を出し合い、次々と実現していくんですよ。こうして、お金がなくても生きていけるという実感をつかんだ子どもたちは、その後の「海の学校」で「鎌倉0円生活」にチャレンジして、町から出る食品ロスを活用した野宿生活を行いました。
まさにこれが、子どもたちがこれまでに身につけた力を実社会で最大限発揮した姿だと思っています。
既存の価値観からはみ出すために、学校とは異なる価値観に触れる
——「カマクラ図工室」はどのような経緯で立ち上がったのでしょうか?
もともとは僕の専門が図工ということもあり、小学校にアーティストを呼び、アーティスト・児童・教員・学生・市民らの多様な表現が交差する「鎌倉なんとかナーレ」というアートプロジェクトを開催していたことが始まりです。
そのアートプロジェクトは、アートの力を借りて児童・保護者・教員が互いの垣根を越えてコミュニケーションを図る場でした。「鎌倉なんとかナーレ」を続ける中で、既存の価値観から解放された教員が次々と新しい教育実践を生み出したことから、アートが持っている力や可能性をすごく感じて。
スマートフォンが普及した今では、指先一つでいろいろな娯楽を手にできるようになりましたよね。しかしアートは、受動的な人には楽しみを与えてくれませんし、児童・保護者・教員という立場で解釈できるものでもありません。
自らアートに向き合い、想像力を働かせていくうちに、一人ひとりの中からポツポツとその人らしい言葉が出てくるのですが、その瞬間を僕は、その人の中の「私が開いた」と表現しています。このように人の感性がありのままにあふれ、それらが交差する場を創り出すことができれば、目の前に新しい景色が開けると考えています。
「鎌倉なんとかナーレ」は4年間で5回、50組のゲストを招いて学校内で取り組みましたが、だんだんと学校外に活動を広げたくなってきて、そのとき一緒に活動していたアーティストの滝沢達史さんと共に「カマクラ図工室」を立ち上げることになりました。
——アーティストの方と一緒に活動することで、髙松さんのあり方に何か変化はありましたか?
子どもを捉えるまなざしが、とにかく変わりましたね。アーティストのような、普段あまり関わることのない世界の人たちと一緒に子どもを見ていると、捉え方が全然違うことに気がつきます。
我々教員が問題視したり、無駄だと思ったりする子どもの行動も、アーティストは平然とおもしろがって価値づけるんです。そこから、一見突拍子もない子どもたちの行動を我々教員がおもしろがることができれば、子どもたちは安心して口にし難い自分の思いや自分の癖をさらけ出せるようになるのではないかと考えるようになりました。
学校の価値観からはみ出す子って、どこにでもいると思うんです。でもそういう子たちって叱られることが多いんだけど、誰よりも楽しそうだったりする。そのような姿を見ていると、いざというときに幸せになれる人って、実は既存の価値観からはみ出せる人なのかもしれないと思うようになりました。
「教育観が変化した」といっても、僕自身ふとした瞬間に、学校にある当たり前や常識に捉われすぎてしまうことがあります。ですがカマクラ図工室のメンバーと関わり、学校とは異なる価値観に触れることで、既存の価値観に縛られないフラットな自分に戻ることができます。
このように原点回帰できる場所があるからこそ、僕は学校で子どもたちと一緒になって新しいことに挑戦できるのだと思います。
私が今一番ほしいのは、たった5分、先生と本音で話せる時間です
——学校での実践にも、カマクラ図工室の活動は生きていると思いますか?
とても生きていると思います。僕が担当する通級指導教室「ことばの教室」には、言葉でうまく気持ちを表現できないなどの理由で、突飛な行動を取る子どもたちが多く通っています。
そういった行動は、ネガティブな「問題行動」として排除されたり、「指導」の対象になりがちです。でも僕はそのような行動に出会ったとき、その子の「ボケ」や「旨味」と捉え直し、「ツッコミ」を入れることでポジティブな未来をつくることを心掛けています。
これは、カマクラ図工室のメンバーである滝沢達史さんがディレクターを務める、身近な人の一見不思議な行動にツッコミを入れておもしろがってみる「なんでそんなんプロジェクト」という取り組みに影響を受けて始めました。
——ツッコミを入れておもしろがる、ですか。具体的なエピソードをぜひ聞いてみたいです。
ことばの教室に通う吃音を持つ子のエピソードを紹介します。
彼は吃音の影響もあり、学級集団の中ではさまざまな場面で負い目を感じてきたようで、仲間内でもことばの教室に通う理由を曖昧にすることがあったと聞いています。
そんな彼をどう仲間の中に位置づけ、自分らしく生きられるようにサポートするかを探っていたところ、彼がいつも自由帳に描いているちょっと変わったオリジナルキャラクターにヒントがあると思いました。
それは、立派に整えられた作品よりも、紙の切れ端に描いた普段の落書きの方にその子本来の姿が見えるからです。そこで僕は、自由帳の落書きを彼の「旨味」と捉えて、そのオリジナルキャラクターのプリントTシャツを一緒に作ったんです。作ったTシャツを学校に着てくると、彼は一気に脚光を浴びてヒーローになりました。
保護者の方もそのTシャツを喜んでくれて、家族全員分作って記念撮影をするという最上級の「ツッコミ」を入れてくれました(笑)。
そうして、周囲の人間に自分らしさを認められることでだんだんとその子の自尊感情が高まっていき、吃音に対する指導をしなくても、彼の思いつきをどんどん行動に移すことで、結果的に吃症状が軽くなっていきました。
——そのTシャツが、彼のありのままを認めてもらえるきっかけになったのですね。
そうだと思います。ありのままのその子を受け止めることは、僕がとても大事にしていることなのですが、以前ある子が学校アンケートに「私が今一番ほしいのは、たった5分、先生と本音で話せる時間です」と書いたことがありました。
僕はその言葉を「我々教員はその子のありのままを受け止められていないのかもしれない」と重く受け取りました。学校はある一定の子どもたちにとっては、できる・できないという二者択一的な価値観の中で、自分を自分以上に見せる競争の場になっているのだと思います。
でもその言葉は、頑張っている自分だけでなく、「ありのままの自分も認めてほしい」というその子なりのメッセージだと思ったんです。それ以来僕は、教員も一人の人間として、ありのままの自分を子どもたちに開いていくことが必要だと考えるようになりました。
特に学校で生きづらさを抱えている子どもたちは、我々教員に対して、「先生」としてではなく、一人の「人間」としての「ツッコミ」をずっと心待ちにしてるような気がします。
だから、そのツッコミセンスを僕たちがもっと磨いていき、日々のささいな行為や突飛な行動をおもしろがり、「それいいよね」と言えるような仲間を一人ずつ増やしていきたいです。
学校現場にそういう考え方を広めていくためにも、カマクラ図工室の活動を常にアップデートしながら、学校で得られないような景色を僕自身がアーティスト仲間と一緒に見て、それらを学校現場に還元していきたいと思っています。
<取材・文:先生の学校編集部・鈴木 育実/写真:ご本人提供>