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人生のための学校・フォルケホイスコーレに学ぶ「余白の時間」。生徒も教員も立ち止まり、判断を保留にする時間がもっとあっていい

人生のための学校・フォルケホイスコーレに学ぶ「余白の時間」。生徒も教員も立ち止まり、判断を保留にする時間がもっとあっていい

世界で最も小さな国の1つ「デンマーク」には、17.5歳以上の全ての人が入学できるフォルケホイスコーレ(※)という「人生のための学校」と呼ばれる教育機関があります。自由な雰囲気が漂うこの学校では、「自分のため」に時間を使うことができる「余白」の時間が大切だとされています。

そんなフォルケホイスコーレに感銘を受け、北海道・東川町にフォルケホイスコーレをモデルにした大人のための学び舎「School for Life Compath」を開いた共同代表の安井早紀さん、遠又香さんにお話を聞きました。

「年齢」や「学年」という制約がある日本の教育現場では、なかなか持ちづらい「余白」の時間。学校教育の当たり前を、私立高校の教員と在校生、そして卒業生と共に見つめてみます。

※フォルケホイスコーレとは?
デンマーク発祥の「人生のための学校」とも呼ばれる教育機関。フォルケホイスコーレが誕生した1844年当時、近隣諸国に領土を奪われていたデンマークが「外に失いしものを、内にてとりもどさん」というキーワードを元に、農民のための学校として設置されて以降、長い時間をかけて国家レベルで定着。

写真:School for Life Compath
School for Life Compath
安井 早紀(やすい さき)さん【写真右】
School for Life Compath 共同代表
神奈川県出身。大学時代はTeach For Japanにて活動。2013年からリクルートで人事として働く。2018年島根県の地域教育魅力化プラットフォームに転職。2020年フォルケホイスコーレをモデルに人生の学校Compathを北海道東川町で創業。

遠又 香(とおまた かおる)さん【写真左】
School for Life Compath 共同代表
東京都出身。大学時代は若年層向けのキャリア教育のNPOで活動。2013年でベネッセで進路情報誌の編集者として働く。2016年外資コンサルティングに転職。2020年フォルケホイスコーレをモデルに人生の学校Compathを北海道東川町で創業。


人生のための学校・フォルケホイスコーレ

——お二人がデンマークのフォルケホイスコーレをモデルにした、日本版フォルケホイスコーレとも呼ばれる大人のための学び舎「School for Life Compath(以下、コンパス)」を立ち上げるに至った経緯を教えてください。

最初のきっかけは、たまたまお互いの仕事の休みが合い、最近よく耳にして気になっていたフォルケホイスコーレを見に行こうと、2017年にデンマークへ2人旅したことでした。

フォルケホイスコーレについては、17.5歳以上なら誰でも通えること、人生の中で休むために通う場所であること、試験や成績がないことなど、基本的な情報は何となく知っていましたが、本当にそんな学校があるのかと半信半疑でした。

その頃の私たちは、社会人になって5年目。2人とも仕事に没頭するタイプで、それなりに楽しくやっていましたが、これから先のキャリアを考えると不安がよぎったりもする、そんな時期でした。

何をするにも目的が決まっていて、数年先のビジョンだのそのためにどうするかだの、常に未来を描かされ続ける社会人生活にモヤモヤも感じていました。

実際に現地のフォルケホイスコーレを訪れてみると、2人そろってその世界観に衝撃を受け、すっかり魅了されてしまいました。

School for Life Compath・共同代表 安井 早紀さん

年代も背景もバラバラな人たちが、人生で必要な時に立ち止まり、共に暮らし学び、感性を磨く。ソファでギターを弾いている人がいたり、コーヒー片手に語り合うおじさんと少年がいたり。これは本当に学びなの?と疑ってしまうくらいに緩いんです。

日本で大人の学びというと、「キャリアアップのため」など目的が明確ですが、フォルケには決められた目的がなく、好奇心の赴くままに自由に何でも学んでいい場所です。こんな場所が日本にもほしいと思いました。

デンマークの人たちと話していると、「人生100年時代なのに、なぜ君たちはそんなに焦っているの?」「なぜ仕事のことばかり話すの?」と問い返されました。

社会に出てからの5年間、仕事ばかりでいかに自分の視野が狭くなっていたか、いかに社会への関心が減っていたかを実感させられました。

School for Life Compath・共同代表 遠又 香さん

何か悶々とした感情や生きづらさのようなものを感じた時に、一旦その社会から離れてみて、全く違う場所で自分自身の内側にある興味や関心にしたがって学んでみる。
いわゆる人生の中に「余白の時間」をつくるのは、より良い社会を作っていく上でも大切なことなのではないかと思うようになりました。

これこそ、「こうあらねばならない」という考え方があまりにたくさんありすぎる日本にも必要なのではないか。そんな話で盛り上がり、日本にフォルケを作りたいという私たちの探究活動が始まりました。


——日本版フォルケをつくるにあたり、北海道の東川町を選んだのはなぜだったのでしょうか?

過去に日本にフォルケホイスコーレを作るという動きは、キリスト教思想家である内村鑑三であったり、高度経済成長の時代に農的な学びを広める文脈だったり、何度かあったようですが、調べる限り現代まで続いているものはありませんでした。

ただここ数年で、昔のままの社会構造でいいのだろうかと疑問を持ち、デンマークのフォルケに留学する人も増えているようです。そういった背景もあり、今なら実現できるのではないかとひとまず場所を探すことにしました。

そのような中で、フォルケのことを知る東川町の農家さんとの出会いがありました。その方もフォルケのような場所は日本にすごく必要だと考えていらっしゃって、「東川でやってみたらいい」と背中を押してくださいました。

そうして2018年に3泊4日のコンパクトなコースを企画して、東川町でやらせていただいたことがご縁になりました。

自然豊かな北海道東川町の様子

デンマークには、一人ひとりの声や意見に価値があり、何をやるかではなく、何かをやってみるという姿勢やプロセスそのものに価値があると考えるスタンスがありますが、東川町もデンマークと通じる土壌があるように思います。

フォルケを日本に持ってくるなら東川町しかない。そう確信して、ここに根を下ろしました。

【問】あなたは何を「学び」として捉えますか?


対話で生まれる言葉こそが「生きた学び」

——一言に学びといってもいろいろな定義がありますが、フォルケの場における学びはどのようなものなのでしょうか?

現地の担当者にフォルケホイスコーレはどのような学校かを尋ねた際に、「今年はね」という言葉がまず返ってきたことが印象的でした。

通常、学校には毎年変わらない教育方針やカリキュラムがあると思いますが、フォルケでは、その年によって集まってくる生徒が変わり、それによってフォルケの色も変わることが前提になっています。

School for Life Compathでは、多様な人々が出会い、対話を重ねていく

人生の中で自分を見つめ直すための時間を過ごせる場所なので、入学する人もその理由もさまざまです。だからこそ、重要なのは正解よりもプロセスだという考え方のもと、対話による授業づくりが大切にされています。

対話の中から生まれた言葉こそが「生きた学び」だとして、皆で授業をつくっていきます。


——コンパスでは具体的にどのような学びを実践されているのでしょうか?

コンパスには、4つの学びのコンセプトがあります。

 1. Enlightenment:心地よい余白の中で、心にあかりが灯る
 2. Togetherness:共に暮らし、共につくり、互いの心の灯りを照らしあう
 3. Power to the people: “東川町”に参加して、社会への手触りを取り戻す

 4. Sense the earth:地域とのつながりを感じ、世界への眼差しを蓄える

まずは「自分」にフォーカスし、次第に「誰かと私」にフォーカスし、最後は「社会にとっての豊かさ」を考え、その豊かさの輪がどんどん広がっていく感じをイメージしながら、期間や季節によって内容を組み立てています。

ただ、本場フォルケと同じように、コンパスでも実施するタイミングによって全く異なる方々が集まってきます。

最初の頃は、どんな授業にしようかと必死に考えて組み立てていましたが、来る人がどんなものを持ってきてくれるかによって、その時間をどう使うかが変わってくるので、カリキュラムには余白を持たせながら、私たちも一緒に楽しんでいく姿勢が大事なのだと考えるようになりました。

参加者がチームになってワークに取り組むことも

学校の先生方も同じかもしれませんが、授業を作ることでいっぱいいっぱいになるよりも、私たち自身が等身大で、その場に共に参加できているかどうかの方が、その時の学びの質に反映されやすい。私たちのあり方が問われているような気がします。

それが分かってから、参加者の状態を見ながら、次はどんな学びの環境を提供しようかと、リアルタイムで授業を作るようになりました。

何か新しいものを習得する学びというよりは、省察したり振り返ったりすることにすごく焦点が置かれているのがフォルケホイスコーレの特徴なので、一人ひとりの人生の中で立ち止まって、評価をされない環境で、利害関係のない、ただそこで一緒になった人たちと共同生活をしながら、自分が何者であるかを知っていく。自分と、他人と、周りの社会と丁寧に向き合ってみる時間。

それがフォルケにおける学びの価値なんだと思います。

【問】あなたは学びの何を評価しますか?


そもそも「評価」せずに「余白」を重ねる

——フォルケでは評価はせず、「余白の時間」に価値を置いているとのことですが、こういった評価されにくいものの価値をどう捉えていらっしゃいますか?

評価は何のためにあるのかを考えると、分かりやすくするためなのかなと思うんです。社会は評価だらけですが、フォルケには試験や成績がありません。

評価することから離れて安心・安全な環境で学ぶこと、他人の評価ではなく本人が何を学び何に生かすのか、という自己実現の心を大切にしています。

参加者がくるまざになって、それぞれの考えを伝え合う

コンパスでは、「私の小さな問いから社会が変わる」を合言葉にしているのですが、例えば「多様性って何だろう?」とか、「優しさってどういうことだろう?」とか、そうした小さな問いを誰もが持っていると思うんです。

それらの問いは、忙しい日常ではなかなか話すことはないけれど、例えば昼食の後のふとした「余白の時間」の中で、誰かと語りたくなったりしますよね。
自分はどう考えるのか、なぜそう考えるのか。自分自身に問いかけながら、相手とも共有し、同時に他の人の考えを聞いて、さらに考えを深める。

この対話の中には、その人がこれまでの人生で培ってきた考え方や価値観が反映されていて、それを知ることこそがフォルケにおける学びの重要な要素です。こうした対話を重ねていく「余白の時間」がとても尊重されています。

デンマークにおけるフォルケの参加者は1割程度で、必ずしも全員がいく必要のある場所ではありません。フォルケに行かなくても社会は普通に成立しているけれど、でもフォルケに限らず、インターンや長期旅行といった何かしらの余暇活動は皆しています。

日常から離れて、自分のアイデアや感性を磨き、そこから何かを生み出すことをすごく大事する文化が、デンマークにはあるんですよね。コンパスもじわじわと、そんな文化を作っていけたらいいなと思っています。

参加者の思いを聞き取る安井さん

【問】あなたは目の前の児童・生徒とどのように向き合っていますか?


大切なことは、信じて寄り添うこと

——プログラムの参加者とはどのようなことを大切にされて関わっていらっしゃいますか?

コンパスでは、いくつかのグランドルールを決めています。その中でも特に大切にしているのが、「判断を一旦保留する」というルールです。

自分とはあまりにも違う人たちが集まっているので、他の人の行動を見て自分の常識と照らし合わせて判断してしまいがちですが、「そう行動する背景には必ず理由がある」と考えて、そこを純粋な興味で聞くことを意識するようにしています。

自分の状態が常に整っていれば、他人の話も受け止めることができる

たいてい、その人の人生経験に紐づいた理由や背景があって、それを知るとすんなり受け止めることができます。でもそれを知らずにいると、その行動を評価しようとしてしまう。評価ではなくて、フラットに受け止められるように、興味や関心を持ってその人に寄り添う姿勢を大切にしています。

ただそのためには、自分自身も良い状態でないと人の話をしっかり聞くことができないので、常に自分自身を整えておくことも大事にしています。

あとは、変わりたくてここに来る人も多いので、いつでも変われると一緒に信じてあげること。本人ができるかどうか不安になっているときに、一緒に歩み寄って「できるんじゃない?」と言ってあげられるかどうか。

例え失敗したとしても、その経験を一緒に回収しようという関係性を大切にしています。


「School for Life Compath」の訪問を終えて感じたこと

今回の取材では、札幌新陽高校の教諭(川崎・細川)と卒業生(軍司・金山)、在校生(小野寺)でコンパスを訪問しました。コンパスの訪問を通して何を感じ、何に気づいたのか、対談形式で振り返りました。

Compathのお二人に取材をした、札幌新陽高校の卒業生・金山さん(写真一番左)と郡司さん(一番右)


取材をしてみて感じたこと

(在校生:小野寺さん)
自分を見直すきっかけになりました。これまでプロゲーマーを目指して、自分を追い込んでやってきましたが、余白を持ったり見直したりする時間が大事なんだと知れました。僕が今まで関わってきた大人や学校は詰めて詰めて過ごしていた気がするから、こういう余白のある生き方もあるのだと驚きました。

(卒業生:金山さん)
フォルケホイスコーレという場所を知っている、理解している、共感している人が集まっていることがコンパスの空間を作っているのではないかと感じました。評価や成果から離れた生き方もある、寄り道してもいいんだよ、そんな共通認識がコンパスにあるから、安心して余白のある時間を過ごせるのだなと感じました。

(卒業生:軍司さん)
私が今通っている「暮らしの藝術大学」でも、今後どう生きていきたいのかを、見つめ直しているので、今回2人の話を聞いて、余白のある生き方に共感する部分が多々ありました。もっと余白の時間のある学びが導入されていけばいいなと思いました。


学校で余白のある時間は導入できるのか?

(教諭:川崎)
軍司さんと金山さんは在学中、探究コースに所属していたよね。新陽高校の探究コースのカリキュラムにある、自分で1日の授業を組み立てる「自己調整学習期間(3年次の毎週金曜日、1〜6時間目に学校設定科目として実施)」と、今回訪問したコンパスの仕組みは似ている部分があると思うんだけど、2人はどう感じましたか?

(卒業生:金山)
学校のカリキュラムの中に「余白の時間」があるという部分では同じだと思います。ただ私は、実際に余白を与えられた際に、どうしよう…何しよう…となってしまいました。

(教諭:川崎)
1年生、2年生の頃はもっと自由な時間がほしいと話していたけど実際は違った?

(卒業生:金山)
はい(笑)。 突然真っ白な紙を与えられて、「好きなように書きなさい」と言われても、どうしよう…みたいな。より良い時間を過ごさないといけない、という思いもありましたし、軸がないままこの時間を上手く使えるのかという不安がありました。

(卒業生:軍司)
私は課題に追われる日もあれば、語学か読書の時間として使っていました。周りのクラスメイトは、進路活動に充てている人が多かったです。3年生ということもあり、進路活動に時間を使い、結局追われる時間みたいになっている人が多かった印象です。

(教諭:細川)
フォルケホイスコーレでの「余白の時間」は、次の行き先を考える上での「立ち止まる時間」のようなものに感じました。そして高校生にいざ、「余白の時間」を用意すると、次の行き先に向けて必要なものに取り組む(=余白を埋める)時間になってしまうのかもしれないですね。

(教諭:川崎)
じゃあ、自己調整学習期間がいい時間になるためには、どうすればいいと思う?

取材を終えてからも、それぞれの体験を伝え合い、対話を重ねる

(卒業生:金山)
自分が少しでも興味を感じたのであれば、やる前から評価して行動に移さないのではなく、行動に移してから評価した方がいいなと思うことが結構あります。「それやって何の意味があるの?」と思ってしまい、手をつけずに終わってしまうことが多々ありました。

(教諭:細川)
「余白のある時間」を選択できる環境があるといいのではないかと感じました。自己調整学習期間においても、「余白があってもいい」「判断しなくていい」といったマインドが持てると良かったのかもしれません。安井さんも、今後「余白のある時間」という選択肢が当たり前になるような事例を、世の中につくっていきたいという話をされてました。学校の中でどうすれば「余白のある時間」を取り入れていくことができるのか、必要な要素を考えていきたいですね。

(教諭:川崎)
本当は進路の判断をする前にこそ、フォルケホイスコーレのような余白の時間が必要なんだと僕は思います。本来、「余白」として捉えられるであろう長期休業なども「余白」になっていない状況が多々ある。それぐらい日本の学校や生徒たちは時間的に窮屈なのかもしれない。今は「高校を卒業したら、大学に行く」という進路が高校生にとって主流になっているからこそ、「余白の時間」をどう受け止めていいか分からない高校生が多いのかもしれません。そう考えると、本校のどんな進路も応援する探究コースの考え方は、改めてしっくりくると感じています。


生きたいように生きる、に向かって

(教諭:細川)
確かに、探究コースには「生きたいように生きる」という教育目標がありますよね。私も川崎先生もこの教育目標に向けて、18歳の時点で立ち止まってもいい、判断を保留にしてもいいんだよ、という話をしてきました。その中で金山さんと軍司さんは余白のある生き方をしていると思いますが、どうですか?

(卒業生:金山さん)
私は今、通信制大学に通っていて、選択肢の自由の上で余白を感じながら生きてます。オンラインでどこでも学べるので、そこでの自由を考えると、余白がある生き方をしています。

(卒業生:軍司さん)
私も大学に行かないという選択をしたとき、「自分は本当に何をしたいのか」を考える必要があると思いました。「進路を決めるのは、今じゃない」と感じ、進学を辞めました。これは余白につながっていると思います。今も自分と向き合いたいと思い、旅をしながら対話を通して学ぶことのできる「暮らしの藝術大学」という選択をしました。

(教諭:川崎)
新陽高校には職員会議の代わりに月に1回の教職員の対話の場として「中つ火を囲む会」という時間があります。この時間は、何かを意思決定したり、答えを探したりするのではなく、答えのない問いに向かってひたすら対話をする時間です。これも対話を通して考える「余白の時間」の一種になるのかもしれません。

こうやって皆の話を聞いていくと、立ち止まったり判断を保留にする「余白の時間」が教育現場にあるのは大事なのかもしれません。安井さんの言葉に「チューニングをする」とあったように、私たちがいかに自然体で、自分が好きな状態でいられるかどうかが、学びのコアになるのではないかと思います。生徒も教員も立ち止まったり判断を保留したりする時間が選択できるようになると、より生きたいように生きることができる社会になるのかもしれません。

〈取材・文=ロコモーションチーム/写真=ロコモーションチーム、ご本人提供〉