約8割が不登校経験を持つ高校で、 15年以上続く自由闊達な探究学習「ワールド」とは?
福岡市東区の海を望む坂の上に建つ立花高等学校。全校生徒550人のうち、およそ8割が不登校の経験を持つという全日制・単位制の高校だ。
学校という仕組みの中で、一度は居場所をなくした子どもたちを積極的に受け入れ、小さな成功体験を積み重ねていくことで、生徒が自分のできることに気づき、やりたいことを見つけていく自立支援の取り組みが同校の特徴である。
その特徴を体現しているのが「ワールド」という名前の授業だ。生徒自身の興味関心を引き出し、やりたいこと見つけることを目的に始まった。
その導入の背景や、取り組みの過程で同校に起こった変化、多様性を生かす上での生徒との向き合い方を、同校校長の齋藤眞人先生に聞いた。
他県の中学校教諭として勤務したのち、2004年に立花高等学校に教頭として赴任。2007年に同校校長に就任。 生徒の8割が不登校の経験を持つ同校の自立支援の教育方針が注目を集める。「いいんだよ」の共感的理解の大切さを説く講演の数は年間100を超える。福岡県私学協会副会長。文部科学省「不登校に関する調査研究協力者会議」委員。
生徒にとっての楽しさを追究して、誕生したワールド
——立花高校のワールドという授業について教えていただけますか?
ワールドは「知らない世界に出会う、知っている世界を深める」をコンセプトとした授業で、週に2回2コマ連続で計4コマ行っています。
授業の内容は、趣味特技、スポーツ、資格取得、進学を目指した勉強と基礎を復習する勉強に大別されています。授業のテーマは全て、生徒へのアンケートをもとに決めています。
——ワールドはどのようにして始まったのでしょうか?
私たちの学校の生徒は不登校を経験している子が多いんですね。
従来型の学校の仕組みに馴染めなかった子たちにどうやったら学校生活を楽しんでもらえるのか。学校生活の大半を占める授業が楽しければ、自然と子どもたちは学校そのものが楽しくなるのではないか。生徒がこの時間を楽しみに登校する、それはどんな授業なのか。
15、6年ほど前だったかな。当時の全職員で考えて、それぞれがプレゼンをする中で出てきたのが、「知らない世界に出会う、知っている世界を深める」というコンセプトでした。
ワールドは学校設定科目として行っており、現在は卒業に必要な74単位のうち、20単位をここから取得できます。
中国語、心理学入門、洋楽マニア、リハビリを学ぶ、アニメから世界へなど、テーマは実にさまざま。また、ワールドから発展して、2、3年生には卒業後の就労をイメージした体験学習という授業もあります。
——取り組み始めて、生徒の皆さんに変化はありましたか?
実は一番変化したのは、僕たち教員の側だったなと思うんですね。生徒たちは最初からそのままで、彼らがもともと持っているポテンシャルに僕らが寄っていったという感覚が一番近いです。
——変わったのは先生方だった、と。
はい。実際にはワールド導入に代表される当時の一連の僕らの意識の変化が、学校の良さを引き立てていったと思います。
自分たちの原点、この学校でやりたい教育を追究した形の一つがワールドだった。立花高校は受験で名前を書けば受かると言われていますが、実際にその通りで、それが僕たちのやりたい教育なんですね。ありのままを受け入れる場所でありたいという。
そこが明確になったことで、教職員が自分たちの学校に対する矜持、自己有用感を感じられるようになったのが、一番の変化だったと思います。
——自分たちがどんな教育をやりたいのかを共通認識として持てたことが大きかったんですね。
その上で子どもの声をちゃんと受け取って、そのアンサーとして学校が変化していきました。
目の前の子どものニーズに応えていく中で、授業とはこうあるべきだといった固定観念が取り払われていったように思います。なので、ワールドを一言でいうなら自由闊達という言葉が一番フィットします。
実際、子どもは変化し続けているわけですから、子どもを主体に考えたときに、学校が変わらなくちゃいけないっていのは当然の理屈だと思っています。
変えよう、進もうとする人たちは絶対に2割はいる
——生徒の声を聴いて学校が変わっていく。そういう動きを広げていくにはどうしたらいいでしょうか?
立花高校だからできたんだろうと言われることもありますが、それは違うかなと思っていて。
組織論に2:6:2の法則というものがありますが、違う価値観が混在していることが組織としては正常で自然な状態だと思うんです。
変えよう、進もうとする人たちは絶対に2割はいる。それを2割しかいないと思っていると、組織は変わらないんですよね。まずはここに仲間がいるぜって思うこと(笑)。
生徒たちの多様性を認めようとする人たちが、違う考えの大人を批判するのはとても残念なことで。マルかバツかといった対極の図式ではなく、一つの輪っかとしてとらえることで、「あなたの言うことももっともだね。私はこう思うよ」と少しずつなげていけると思うんです。
そうやってゆっくり変化していくのがいいのではないでしょうか。
——とはいえ、公立の学校では異動があるという難しさを感じている先生もいます。
異動は、リセットボタンにもなるから良い面もありますよね。
例えば前の学校で身につけていて、でも何かに気を遣って発揮できなかった力を、まっさらな場所でふっと出せるのはとても素晴らしいと思うんですよ。逆に私立学校は空気としては停滞しやすい特徴もあって。
どっちがいいとか、どっちが悪いとかないですよね。
——確かにそうですね。
一見ネガティブなものをポジティブにとらえることに、僕自身はすごくこだわっていて。
眉間にしわを寄せて言うか、笑い飛ばすか、起きている事実は変わらないのに我々がどう解釈するかで見え方が変わってきますよね。
私の職場でできるかどうかではなく、私が何をするかという視点から始められたらいいなと思います。
その子が一番生きる支援を用意すること
——齋藤先生が、生徒と向き合うときに大切にされていることはありますか?
僕は、違いを知るということが、学校のすごく大きな意義だと思っているんですね。
毎日同じ時間に起きて、同じ時間に学校に来て、ずっと黒板を見ているという当たり前の光景が、実はすごくイレギュラーなことを子どもたちに課しているということに気づきたいですよね。
そうすると、それに応えようと頑張っている子どもたちの姿が見えてきます。あーすごいな、この子たちよく頑張ってるなって。
この考え方が全ての教育活動の根底に流れていると僕は解釈しています。
——当たり前だと思っていることを見直していく。
はい。同じであることを前提にした従来の価値観を、僕は決して否定するつもりはないんですね。日本の教育がうまくいっているところもたくさんあると思うので。
その上で、一人ひとりの多様性に対して、その子が一番生きる独特の支援の形を用意するということがもっとあっていい。従来の価値観にとらわれないというのが肝になってくると思います。
——その子が生かされる独特の支援とは、例えばどのようなものでしょうか?
例えば、うちの学校では廊下で授業を受ける生徒たちがいます。
教室に入れないとだめだと言ってしまったら、その子が朝起きて、制服に着替えて、電車に乗って…と、一つひとつ達成してきたことが、もう全部ゼロになってしまう。
その子は教室に入れない子ではなくて、廊下で授業を受けられる子なんですよ。そういう扱いを認めると、他の子たちもそうならないかといったら、なっていないんですね。
例えば、ワールド一つとっても、楽しいことばかりやらせたら子どもたちが一般の授業を受けなくなるんじゃないかと、見学に来た先生が不安そうにおっしゃることがあります。
でも、生徒たちは「あー楽しかった、じゃあ次の授業も頑張ろうか」と取り組んでいます。同じであることを前提としていたり、前例の枠から教員が脱却していかないとですね。
——そうですね。
この写真を見てください。これは昭和2年の神興(じんごう)尋常高等小学校の授業風景です。
解説すると、右側にオルガンを弾いている子がいて、その前ではカルタをしている子がいる。その横には赤ちゃんを世話している子たちがいて、奥には机に座って勉強している子がいます。
この状況は、今で言ったら学級崩壊だと思うんですけど、その悲壮感がないのは先生が笑顔だからなんですね。「オルガン弾きたかろう、家にオルガンないもんな。カルタで遊びたかろう、帰ったら畑作業が待ってるもんね。よかよか」って。
で、こういう環境で1年生から育っていると、奥で勉強している子たちも「先生、うるさいのでオルガンをやめさせてください」という言い方はしない。
異なる多様性が一つの空間をなす、これは今でいうインクルーシブ教育の一つの形ですよね。
この方は安部清美先生と言って、のちに当校の創立者となる方です。この方を師匠と仰ぐ公立の先生方が退職金を持ち寄って、理想の学校を作ろうと設立されたのがうちの学校なんです。
学校に限ったことではなく、一人ひとりのありのままを受けれてくれる場所、安心できる居場所があればいいなと思います。
できないことを嘆くのではなく、できていることを認め合う。そのためにできる手段を用意するというのが、立花高校が大切にしていることです。
発達障害の子が、安心して立ち歩ける。学習障害の子がデジタル時計で時間を読むことが当たり前に認められる。普通と言われている子たちがすごく頑張っていることに気づいている人がいる。
そうした安心感の中で、子どもたちは次の段階へ自分のペースで進んでいけるんだと思っています。
〈取材・文=小川 直美〉