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地域自慢のサバ缶が宇宙へ! 14年間の探究的な学びがつないだバトン

地域自慢のサバ缶が宇宙へ! 14年間の探究的な学びがつないだバトン

「宇宙飛行士 野口聡一さん 福井の高校生ら開発のサバ缶を絶賛」(2020年12月1日 NHK WEBニュースより)

現在、国際宇宙ステーションに滞在している日本人宇宙飛行士・野口聡一さんが、美味しそうに宇宙でサバ缶を食べる映像をテレビやインターネットで目にした人も多いのではないだろうか。

この「サバ醤油味付け缶詰」を研究開発したのは、福井県立若狭高等学校 海洋科学科の生徒と、同校教諭の小坂康之さんだ。

高校生としては初めて宇宙航空研究開発機構(以下、JAXA)から「宇宙日本食」の認証を受けたサバ缶は、14年にわたり、生徒が代々研究を引き継ぎながら開発されたものだという。

全校で探究的な学習に取り組む以前から、探究的な学びを授業に取り入れ、現在は探究的な学習を経験した生徒の卒業後の変容も調査する小坂さんに、探究的な学習を始めたきっかけや、大切にしている思いについて聞いた。

写真:小坂 康之(こさか やすゆき)さん
小坂 康之(こさか やすゆき)さん
福井県立若狭高等高校 海洋科学科 教諭

2001年4月より福井県立小浜水産高等学校勤務、2013年4月より若狭高等学校。勤務の傍ら博士号(福井県立大学生物資源学)取得。2019年教職修士(福井大学)。楽しいから学ぶんだ!をモットーに海の教育、探究的な学習に取り組む。趣味は、ダイビングとへしこづくり。福井県優秀教職員、授業名人。

バトンをつなぎ、宇宙食としての認証へ

——宇宙食のサバ缶を開発し始めたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

水産大学で学んでいた大学時代にノルウェーに研修に行く機会があり、そのときにお世話になった工場が、サーモンを輸出するためにHACCP(ハサップ:食品の安全衛生システム)を取得していたのです。

帰国後、日本の地方の水産加工工場を見てみると、技術は素晴らしいのに食品衛生の安全性を証明するものが何もないことに気がつきました。

HACCPを取得していないことが理由で、EUへの輸出が禁止になっていたのを目の当たりにして、当時勤めていた小浜水産高校で製造していた「サバ醤油味付け缶詰」のHACCP認証に動き出したのがそもそものきっかけです。

小浜水産高校は日本初の水産高校で、工場を併設し、若狭地域で漁獲された魚介類で缶詰を製造していました。

コンサル会社に相談したら「HACCPの取得には2億かかる」と言われましたが、なんとか自分たちで勉強したり工夫したりして学校内の工場を改善し、2006年に教育施設では2例目となるHACCPの認証を受けました。

HACCP取得後、授業中の何気ない生徒とのやりとりの中で、HACCPはそもそも米国航空宇宙局(NASA)が宇宙食などの食の安全のために開発した衛生基準であることを話したところ、生徒から「私たちが作った缶詰を宇宙に飛ばせるのでは?」という問いかけがあり活動が始まりです。


——そこから実際にJAXAとつながって、宇宙食としての研究開発を始められたわけですね。

そうですね、最初はJAXAの本を出版している出版社に直接出向いて、相談に行きました。するとJAXAの教育センターとつながることができ、1カ月後にはJAXAの方が高校に来てくださったのです。

生徒の士気もすぐに高まっていったんですが、開発を始めた頃は宇宙食の認定基準もなく、しかも当時は缶詰はゴミが出るという理由で宇宙船に乗せられない決まりになっていました。

仕方なく、当時流行っていた塩キャラメルに地元で採れる魚を砕いて、カルシウムを含んだものを作って研究していました。

プロジェクト自体がマンネリ化した時期もありましたが、毎年細々と研究開発を続ける中で、学校の統廃合が決まったのです。


——小浜水産高校と若狭高校との統廃合ですね。この統廃合が大きなきっかけになったと伺いました。

統廃合がきっかけで、これまで積み上げてきた宇宙食プロジェクトが終わってしまうことを覚悟していました。しかし地域の方々から「水産高校で行っていた探究活動は残してほしい」との声が多数上がったんです。

その後、若狭高校と統合するにあたり「若狭の教育を考える会」が発足し、「海を通じて生徒の思考を深めるような課題探究をベースにしたカリキュラムを作っていこう」という流れができて、若狭高校に海洋科学科が設立されました。

すると1期生の生徒から「宇宙食としてサバ缶を研究開発するプロジェクトを引き継ぎたい」と声が上がったのです。生徒が自らそう声を上げてくれたことは、このプロジェクトに携わっていた中で一番うれしい出来事でしたね。

そうして、またJAXAと共に動き始めることになりました。ちょうどその頃に、宇宙日本食の認証基準ができて、さらには宇宙船に缶詰を搭載することが可能になりました。

いろいろなタイミングがばっちり重なり、2018年11月に宇宙日本食としての認証を受けることができたのです。


大切なことは、生徒の内面を見ること、見取ること

——最初から探究的な学習はうまく進められたのでしょうか?

それがもう、大変だったんです(笑)。

水産海洋教育への強い思いから、縁もゆかりもない福井での教員生活を選びましたが、当時小浜水産高校は福井県で最も荒れている教育困難校でした。

授業中、床に寝ている生徒がいるほどです。きっと生徒たちは「学校なんておもしろくない」と思っていたのでしょうね。

最初は私も体育会系のノリで生徒たちに立ち向かったり、年が近いことを武器にフレンドリーにしてみたり、試行錯誤していましたが、授業に向かう姿勢だけは醸成することができませんでした。それでも諦めず、浮き沈みを繰り返しながらも、毎日の教材研究を続けました。

するとある日、授業の始めから寝ている女子生徒を注意したことで、女子生徒は怒って教室を出て行ってしまったのですが、地域の不良からも一目おかれるほどの男子生徒が「先生は悪くないよ。ほっといたらいい」と、声をかけてくれたのです。そしてその男子生徒は、私の授業をしっかりと聞いてくれるようになっていました。

そのときに私は、生徒の内面を見ること、見取りが全くできていないことに気がつきました。「どうしようもない生徒ばかり、何言っても通じない」と、生徒一人ひとりに対して、人として敬意を払って対応できていなかったのだと思うと同時に、「どんな境遇の生徒でも学びたい、伸びたいと思っている」と学びました。


——その出来事がきっかけとなり、今の探究的な学習のスタイルが構築されていったのでしょうか?

そうですね。その頃から授業の初めに、その日あったこと、今思っていることなど、生徒の思いと私の思い、目標を共有してから授業内容に関連づけて授業を進めるスタイルに変わっていきました。

一方的な授業をしても生徒は誰も聞いてくれないし、授業スタイルを少し変えて生徒とのやりとりを増やしたとしても、生徒の半分が変わってくれたかなというくらいで、あとの半分はやっぱり寝ていましたからね。

そのような中で、生徒の変化を初めて目の当たりにしたのが、課題研究の授業スタイルでした。

私が当時、福井県若狭地方の伝統料理である「へしこ」の研究を進めていたこともあり、外に出向いて地域の方と一緒に作業をすることがよくあったんですが、漁師さんと一緒に定置網で作業したときに相談された内容が、大学で誰もが習うようなことだったので、改善案を示したらとても感謝され、自分が必要とされている実感が湧いてうれしかったんです。

生徒たちにも、教室の中で学んでいる知識や技術を、社会や現場での実践に結びつけてあげることができたら、もっと学びに興味が湧くのではないかと思い、皆でバスに乗って漁港まで行って、生徒たちを解き放ってみたんですよね。そしたら、今まで授業で寝てた子たちがすごく生き生きと活動し始めて。

今は「探究的な学び」と名前がついていますけど、当時の私にとっては生徒たちが学ぶことに夢中になるベストな形を探っていったらこれしかなかった、という感じでした。


——探究的な学習を実践する中で、学びになった経験は何かありますか?

実は数年前から、探究的な学習を経験した生徒の卒業後の変容をインタビュー調査しているのですが、そのインタビュー調査の際に大きな学びがありました。

探究活動を始めて4年目ぐらいのときに、海藻の一種であるアマモを植える活動が地域運動にまで広がっていったことがありました。生徒もすごく主体的に取り組んでいて、その研究発表が県予選を突破して全国大会に出場することになったんです。

私も当時は若かったので、全国大会で優勝できるように指導にかなり力を入れたんですよね。結果的に全国大会で優勝を果たすことができて、よかったなぁと思っていたんです。

でも最近、そのときの生徒たちにインタビューをして当時のことを聞いてみたら、「あのとき一生懸命暗記したことをよく覚えています。先生が指導してくれたおかげで優勝できました!」と、皮肉でも何でもなくキラキラした目でうれしそうに話してくれたんです。

そのときに「やってしまった」と反省しました。暗記の経験が社会でどう生きているかというと、今の時代には支えにならないというのは明白ですからね。

探究っていろいろな壁があると思うのですが、例にあげたようなコンクールとかコンテストは生徒のモチベーションにもつながって良い機会なのですが、どれだけ教員が介入するかは気をつけないといけないポイントだと思います。

当時の私は「優勝させたい」という欲に負けて、教員がやりたい方向で指導してしまっていたんです。生徒の主体性を第一に考えずに教員主導で指導をしてしまうと、生徒にとっての学びにはならないと感じた出来事でした。


——探究的な学習をサポートする教員側のあり方も、目的を見失わないようにしないといけないですね。

そうですね。あとは、生徒たちのこれまでの学習観も壁になる場合があります。これまでの学生生活において自分で考えることを習慣にしていない生徒たちは、その経験自体が壁になるんですよね。

若狭高校に赴任したときも、1期生の生徒たちが探究活動をする際に「何をしていいか分からない。先生教えてください」ってよく口にしていました。逆に探究活動がうまく回りだすと、生徒がいい方向に変化を見せ始めます。

自分が主体的にやったことが社会貢献に直結すると、生徒の自己肯定感は高まりますし、どこにいっても同じように主体的に動こうとするんですよね。

おもしろいんですが、本能のまま小浜水産高校で実践してきたことが、最近になって理論的にも釣り合って理解でき始めているんですよ。


教員のコミュニティ形成に力を入れることが、非常に大切

——探究的な学習の中で直面する壁は、どのように乗り越えているのですか?

生徒は一人ひとり違いますからね。その生徒がどこでつまずいているかをよく見取って明確にしてあげることが大事だと思います。その見取りが、私自身一番集中する部分かもしれないです。

例えば先ほど話したように、学習観がなくて何をしていいのか分からない生徒には、探究のサイクルや物事の問題解決の方法を理論的に伝える必要があります。具体的な例を見せる場合もありますね。

あとは、やっぱり主体性って自分の興味関心からしか生まれないので、生徒自身が分かっていない自分の興味関心を明らかにしてあげることが大切です。


——伴走者としての先生の存在は、重要ですね。

私は、先生個人の力も大事ですけど、教員のコミュニティはもっと大事だと思っています。

私個人が頑張っても一人の教員の実践で終わりますけど、そうではなくて学校全体や福井県、日本全体の教育を何とかしたいと思っているんです。

当然一人の力より、たくさんの人で意見が一致したときの力ってすごく大きいですからね。教員同士のコミュニティがきちんと形成されていないと、探究は難しいです。

若狭高校も元から探究ができていた学校ではなかったので、最初は苦労しましたね。でも少しずつ教員の意識が変わっていくのを感じました。

教員同士でどんな力を育てたいかを共有したり、生徒のために学校としてどうあるべきかを考えたりして、教員のコミュニティ形成に力を入れることも非常に大切なことだと思います。私たち教員は、生徒を通じて一致できると考えています。


——これから探究的な学習を実践していこうとする先生たちは、まず何から取り組むといいでしょうか?

探究を他の言葉で言い換えると、「かいほう(解放・開放)」という言葉が思い浮かびます。「解き放つ」もそうだし、「開いて放す」もそうですね。

結局探究って、その人の興味関心の部分を明確にしたり、その人の本質的な部分と教材を結びつけることだと思うのです。

授業も同じで、教材研究は教材自体を生徒に合わせるのではなくて、教材自体のおもしろさと、「この子たちならここにヒットするだろうな」という生徒の主体性を引き出して向かい合わせることです。

だから、先生たちがまず取り組むことは「生徒をしっかり見る」。これに尽きると思います。

〈取材・文=先生の学校編集部〉