出光興産がはじめた「週1先生プログラム」。先生と企業人が交わることで生まれる価値と可能性とは?
エネルギー業界大手の出光興産が、千葉県松戸市教育委員会と連携し、2023年に開始した「週1先生プログラム」。このプログラムは、同社の社員が週に1度、松戸市内の中学校に赴き、特別授業を行うほか、業務効率化など先生の働き方改革などに取り組むというものだ。
本プログラムを企画した人事部の俵さん、実際に先生として派遣された木村さんと内山さんに、「週1先生プログラム」を始めることになった経緯や、中学校での週1勤務を通して体験したことや感じたこと、また学校と企業の連携がそれぞれにもたらすメリットや可能性について聞いた。
出光興産株式会社人事部次長
木村 智子(きむら ともこ)さん
出光興産株式会社人事部DE&I推進課
内山 美穂子(うちやま みほこ)さん
出光興産株式会社人事部採用教育課
学校と企業、それぞれが「越境」する意義
——「週1先生プログラム」は、民間企業で働く方が一定期間学校に派遣され、学校教育に関わるという内容で、大変興味深い取り組みだと感じました。実際に同プログラムをはじめるまでの経緯をお聞かせください。
ありがとうございます。そもそもは、私が参加した社外研修がきっかけです。
研修期間は1年間で、中央官庁の職員やさまざまな企業の方が集まり、日本の課題について考えるというもの。日常の業務と並行しながら終業後にどっぷり行う、結構大変な研修でした。私は10人ほどのメンバーと共に教育をテーマにした分科会に参加しました。
私自身も子どもがおりますが、正直にお話すると子育ては妻に任せっきりで、これまで教育に向き合う機会を持たずにきました。ですがこの研修を通して、さまざまな本を読んだり、有識者の方や官庁の方のお話をうかがったり、1年かけて教育における課題とは何かを学んでいきました。
——俵さんが感じた教育現場の課題とはどのようなものですか?
文科省の方も教育現場にいる方も、教育自体が変化しなければいけないという強い危機感を持たれているのが印象的でした。また一般企業の私たちからすると信じがたいような、先生たちの業務負荷の大きさも知りました。
ではそうした課題への打ち手はどうかと、文科省がまとめた最新の改革事例集も拝見しましたが、既存の枠組みを飛び出すような発想を出すことに難しさがあるように感じて。こうした点で、我々のような企業と教育現場が交流することに意味があるのではと考えるようになりました。
単純な労働力としてという点もありますし、キャリア教育も一緒に進めることでお役に立てることがあるだろう。またそれ以上に、学校教育という、ある種閉じた世界に、異文化である企業人が入ることで起こる刺激が重要かなと思いました。
企業が持つナレッジを伝えること以上に、「中だけで考える」という文化を変えること。またそうした交流は、私たち企業にとっても同様に意味があるとも考えるようになりました。
——すごく共感するお話です。
1年間の研修の最後に、分科会のメンバーと共に、企業から教育現場へサポートできること、またそのことで企業が得られるメリットなどを論文の形でまとめました。では、それを出光興産に置き換えたときに何ができるだろう、と。
前提として、当社の中期経営計画(対象年度:2023~2025年度)の柱の一つが人財戦略であり、社員のキャリア自律を謳っています。仕事だけでなく、生活や人生を含めたライフキャリアを自分で描いていこうというものです。
それには社内の環境を出て、社外の研修に参加したり、大学で学び直したり、他の場所で働くといった「他流試合」「越境学習」の経験が有効で、学校現場への派遣もそれに合うだろうと考えました。
——社員を学校現場へ送り出す企業側のメリットについて具体的に教えてください。
社外研修への参加や大学院へ行く場合と異なり、「週1先生プログラム」では企業側が負担する費用はありませんが、社員の時間は使うわけですよね。その観点からすると、このプログラムを通して社員の成長があることが重要となります。
越境プログラムの場合は特に、派遣先の組織のビジョンに強い共感を持てるかどうかで、研修の効果は半分にも3分の1にもなってしまいます。その点で言っても、文科省が掲げる学校教育の基本ビジョンの「全ての生徒の健やかな成長」「誰一人取り残さず個々の可能性を最大限に引き出す教育」は、誰しもが素直に共感する内容です。
また、実際は学校現場に唯一の企業人として送られるので、異文化の中で主体的に動かざるを得ないし、全校生徒の前でプレゼンテーションする場も用意していただいたので、そういう機会が社内では得られない体験として社員の成長につながると考えました。
——連携先が松戸市であった理由、また派遣先が中学校なのはなぜでしょうか?
研修の中で、松戸市教育委員会とのご縁をいただいたのがきっかけです。松戸市は教育長をはじめ職員のみなさんが小・中学校をよくしようと新しいものをどんどん取り入れていくマインドにあふれていて、「ぜひ!」という風に話が進んで行きました。
プログラム内容としては、小学校で行うという可能性ももちろんあると思います。ただ、今回は松戸市さんにとっても私たちにとっても初めての取り組みということもあり、受け入れる生徒側の成熟度を考慮していただいて、中学校で行うこととなりました。
先生と企業人が交わる価値とは
——ここからは、実際にプログラムに参加された木村さんと内山さんにうかがっていきます。木村さんは第1期として2023年5〜7月に、内山さんはその後10〜12月に派遣されています。プログラム参加へどういった声掛けがあったのでしょうか?
まずはトライアルの企画ということもあり、人事部の中でダイバーシティ推進を担当している私と、新卒採用担当の内山に、俵が声を掛けてくれました。
教育委員会と会社の間では期間と行く日だけが決まっていて、それ以外のことは任されていました。受け入れてくださった松戸市立第一中学校では企業の人と会ったことがないという先生も多くて、そもそも企業の人をどう受け入れたらいいかというところから一緒に話を始めて、先生方とプログラムを組み立てていきました。
——学校とともに、本当にゼロから作り上げていかれたんですね。
私の役割は、企業の人が学校に来ることに慣れていただく、そういった素地を作るということだったように思います。その上で、内山が授業の中身を固めていくような役割のイメージです。
最初から高い理想を掲げるというよりは、一緒に伴走しながらプログラムを作っていくことを大切にしていました。事前にお話をして、3カ月の間に大きく二つのことに取り組むことを決めていました。
一つは、授業について。派遣先の松戸市立第一中学校はSDGs研究指定校でしたが、今年度は具体的に何をすすめていくか迷っているということでした。もう一つは、先生たちの働き方について現状把握をするということで動き出しました。
——SDGsの授業から教えてもらえますか?
SDGsは範囲が広いので、先生はどう授業に落とし込めばいいか迷われていて。そこで金沢工業大学が開発したカードゲームを紹介して、これを使った授業を行いました。
また先生方からジェンダーバイアスに強い関心があるとうかがいましたので、全校生徒900人に対しオンラインで、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)に関するお話もしました。
学習障害のある生徒さんも含め、50分間集中して聞いてくれていたようです。
——先生方の働き方については、どんなことに取り組まれたのですか?
働き方に関しては、有給休暇の取得状況や、就業時間中の休みの取り方について、アンケートを取りました。業務の改善といっても、何からやればいいのか具体的な動き方や声のあげ方から分からないという声があり、「企業ではこんなことをやりますよ」と知っていただいた形です。
アンケートですぐ何かが変わるわけではないですが、自分のことを考えるきっかけになったり、その手法そのものを新鮮に感じていただいていた実感があります。
——木村さんの後を引き継がれた内山さんは、どのようなことに取り組まれましたか?
私はアメリカでの駐在経験があり、校長先生から異文化の経験を伝えてほしいというお話をいただきました。いろいろ検討した結果、授業を通して社会人としての自身の体験を伝えるということ、そして木村に続いて先生方の業務効率化に取り組むこと、この3つに取り組んでいくことになりました。
具体的な活動内容としては、社会と英語の授業に入らせていただきました。社会では公務員に関する授業で「公務員と民間企業、将来なるならどちらがいいか」というディベートの際に、民間企業の者として情報提供する立場で補助をさせていただきました。
英語の授業では、私自身が海外で苦労した経験から、文法はめちゃくちゃでもいいので、コミュニケーションをとること・伝えることを意識したプログラムを実施しました。
——どちらの授業も興味深い内容ですね。授業に関わってみてどのような発見がありましたか?
生徒たちの集中力が保たれるような工夫が必要だということは発見でしたね。45分の授業で15分ごとに新しいアクションを設けないと集中力が続かなかったり、皆さんの心が開くようなキャッチーな話題でまず興味を引くことなど、先生方が普段からされていることがとても勉強になりました。
逆に、エキサイトしすぎないようにうまくコントロールすることに難しさも感じました。
また勉強が嫌いな子でも、英語のコミュニケーションとなると力が入ったり、合唱コンクールで指揮者として活躍したりという場面を見て、違うフィールドを用意することでその子の良さが引き立つということが印象に残っています。
私は新卒採用の立場で大学生向けのプログラムを作っていますが、時間配分もそうですし、学生一人ひとりの良さを見ていくような内容にできないかなど、仕事へのヒントをいただきました。
——学校での3カ月で、お二人が受け取られたことは他にもありますか?
先生方から伝わってくる、生徒への愛が本当に印象に残っています。休憩時間も取れないほど忙しくされている中で、雑談の中でもずっと生徒のことを話している、気に掛けていることが伝わってきました。
生徒の皆さんもそれを分かっているという信頼関係を見られたことは本当に感動しました。
私はこれまで保護者の立場で先生と接してきましたが、今回学校に入る機会をいただいたことで、先生方の状況がよく見えて考え方が変わりました。
企業人としての個人的な成長だけでなく、学校や先生の見え方も変わることで、お互いを理解できるし、保護者と先生の間に起こりうる課題も変化していく可能性を感じました。
企業と学校の協力体制を発展させていきたい
——「週1先生プログラム」は2024年度以降はどう取り組まれていくのでしょうか?
2023年度はトライアルとして合わせて6カ月間社員を派遣しました。2024年1月には、今度は先生方に弊社の研修にお越しいただいて、同年代の民間企業の社員がどんな感じで働いているかを見てもらう場を用意しています。
このプログラムが社員の成長につながるということを確認できましたし、社内でも多くの社員が興味を持ってくれています。また週1回であることに継続のしやすさがあるように感じましたので、現在松戸市教育委員会が、何人くらいの枠でどの学校に導入をしていくか、検討していただいています。
——現状でも、学校と民間企業には高い壁があるような気がします。だからこそ、この取り組みに価値を感じます。
ありがとうございます。先生方の業務改善については、民間企業が先行して行ってきた業務変革を取り入れることで大きく変わっていく余地はあると思いました。
既存の業務を改善することで、先生方が学び続けるインプットの時間が増えて、変革的なアウトプットにもつながり、新しい教育現場の体制に発展させていけると思っています。
キャリア教育についても、学校現場では何をどう伝えていけばいいか悩まれているという声を聞きます。ここも企業と協力していける部分だと思います。
「週1先生プログラム」は弊社1社で始めた取り組みですが、できる部分から一緒に、できるだけ恒常的にやっていくことで、他の企業や学校にも「この取り組みはいいね」と思ってくだされば、もっと広がっていくのではないかと感じています。
〈取材・文:小川 直美/写真:ご本人提供〉