感情を見える化し、感情に気づく機会を。心理学の研究者が語る、感情の育み方
今回この記事の取材を担当したメンバー3人は、それぞれ小学校・中学校・高校で働いています。近年、新型コロナウイルスの影響で、子どもが他者と関わり、感情を交わす機会が減ったことを心配している先生も多いのではないでしょうか。
日本の子どもたちは自己肯定感が低いという調査結果も出ているなど、子どもの感情に関する課題や悩みは尽きません。子どもの感情に触れる機会が多い私たちの疑問に対するヒントを探していた際、法政大学教授・渡辺弥生さんの著書『感情の正体』と出会いました。
この著書で書かれていた、「感情は育てられる」という渡辺さんの研究結果に注目した私たちは、学校現場で子どもたちの豊かな感情を育むためにできることについて、話を聞きました。
教育学博士。専門は発達心理学、発達臨床心理学。
社会性や感情、道徳性の発達研究と対人関係の問題行動を予防するためにソーシャルスキルトレーニングに力を入れている。最近はソーシャル・エモーショナル・ラーニングの考え方のもとに、幼児や大人までを対象にソーシャルスキルだけでなく感情(エモーショナル)教育を含んだ実践を行っている。単著に『感情の正体ー発達心理学で気持ちをマネジメントする』(ちくま新書)、『親子のためのソーシャルスキル』(サイエンス社)、『子どもの「10歳の壁」とは何か?―乗り越えるための発達心理学』、監修に『まんがでわかる発達心理学』(講談社)、『よくわかる発達心理学』(ナツメ社)、など多数。
自分の感情に気づくことが、感情を育むはじめの一歩
——渡辺さんは「感情」について研究されていらっしゃいますが、具体的にどのようなことを専門にされているのか教えていただけますか?
私の専門は発達心理学という分野で、子どもの心はどのように発達するのかというのが中心テーマです。
心や気持ちは見えないため、そのような主観的な部分を子どもたちがどう獲得したり発達させたりしているかについては、不思議がいっぱいあります。
「感情」と言えば、例えば怒ったり、悲しんだりという感情の種類はいつどのように獲得されるのか、また、自分や他人の気持ちをどうやって理解するようになるのかなど、感情の発達に興味を持っています。
また、いじめや不登校などの問題もなかなか減らないこともあり、人と関わる葛藤を乗り越えて、楽しさを共有できるように、思いやりの気持ちやワクワクといった感情を育むにはどうしたらいいのか考えています。
研究を通して分かったことを、教育現場に生かしたいと考えて取り組んできました。
—— 渡辺さんはなぜ発達心理学に興味を持ったのでしょうか?
私が大学院で学んでいた際に、「なぜ人は人を傷つけるのか、攻撃される人を助けないのか」という攻撃性に関する研究が盛んに行われていました。でもその一方で、自分を犠牲にして人を助ける人もいます。
そのことに気づいたとき、「思いやりとはどのように発達するのだろうか?」という問いが生まれたことがきっかけです。大学院卒業後は教育学部で働き出したこともあり、思いやりを実際にどう育てたらいいかという具体的な教育実践にも関心が向きました。
どんな人も日常生活でトラブルや葛藤に直面します。そして、自分や他人の行動とどう折り合いをつけることが良いのかを考えますよね。そして、どのような言動を取ると相手を思いやることになるのか、具体的な行動を選んで実行するわけですが、そのプロセスには必ず「悔しい」「腹が立つ」「楽しくなる」といった気持ちが付随しています。
「けんかはするべきでない」という考えを教えたり、「叩いてはいけない」という行動を制止して、心の中にある「怒り」や「悲しみ」などに気づき、それをコントロールする術が必要になります。ですから、「感じる」というセンサーがどのように発達するのかにも興味があります。
気持ちをコントロールするプロセスが分かり、それを子どもたちに教えていくことができれば、自分をありのまま受け入れたり、他人と円滑な対人関係を営めると思うのです。
—— 「感じる」プロセスが行動に影響を与える。もう少し詳しくうかがえますか?
例えば「人を助けるべきだ」という考え方や「何かをこぼした人がいたら手伝って拭いてあげるといい」という行動は教えられたとしても、「かわいそうだな」とか「何かやってあげたいな」という気持ちが付随していないと、ただ言われたことをやっているだけになってしまいますよね。
そうかといって「かわいそうと感じなさい!」と、叱られて感じるものでもありません。思いやりの行動を育てるためには、考え方や行動のあり方だけでなく、それぞれの人が何を感じているのか、感情を理解しうまく伝えるなどコントロールすることを教える必要があります。
感情について考えるとき、もう一つ大事なことが、他人の感情について知ることです。たとえ同じ感情を感じている場合でも、感情を表現する行動は一人ひとり違いますよね。だから、自分の気持ちが分かったからといって、他人の気持ちも理解できるというわけでもないのです。
自分と他人というさまざまな人との関わりの中で、自分の感情と折り合いをつけるというマネジメントの仕方を教えることも、感情を育むときに重要な視点です。
子どもたちに自分自身の、そして相手の感情に気づかせる教育実践に必要なことは、「見える化(可視化)」だと私は考えています。気持ちや心については、先生が口で説明しているだけでは、子どもの年齢によっては理解が難しいです。
そのため絵を使ったりワークをしたりして、目に見えるように工夫します。笑顔の絵文字や、「!」「?」というようなマークも、ある意味で気持ちに気づかせる教材になります。
子どもが自分の感情に「これが気持ちというものなのだ」と気づくような機会を作ることが、考え方と行動の結びつきに対する理解を導くことにつながると、先生にも知ってもらいたいと思っています。
気持ちを表すボキャブラリーが増えれば、思いやりも育つ
——渡辺さんはこれまで、感情についてどのような研究に取り組まれてきたのでしょうか?
私が研究してきた中心となるテーマは、子どもたちの思いやりの発達です。
これまで私は、子どもたちがどのような動機で思いやりを発揮する行動をとるのかを子どもたちにヒアリングするという研究や、思いやり行動の背景にある感情を紐解く研究、思いやりの発達が難しい子どもたちでもスキルとして思いやりのある行動を取れるようにするための研究などに取り組んできました。
これらの研究や教育実践を重ねているうちに、特に、感情のスキルについては、「見える化」できるワークや教材を取り入れると効果的であることが分かってきたのです。また、感情は、言葉だけでなく、表情や声のトーン、仕草など非言語を通しても伝え合っていることに気づかせることが必要です。
表情や声のトーン、言い方、身振り手振りを通してどのような感情が隠れているのか互いに気づけるようになるために、先生方とも協力して研究や新しい授業案づくりに取り組んでいます。
——とても興味深いです。どのような人を対象に研究をされているのですか?また、研究の中で、時代の変化が影響していると感じることはありますか?
私の研究は、幼稚園から高校までさまざまな教育現場の方と協力して行っています。ですので、対象は幼稚園児から高校生までと幅広いです。
発達の過程では、誰しもが人間関係で悩みます。いつの時代もそうだったのですが、近年は様子が変化しているように感じています。それは、現代の中高生は多くの時間をインターネットの中の人間関係で過ごしているという点にあります。
例えば、とある学生は、SNSごとに「キャラ」を演じていると話してくれたことがあります。ものすごく繊細な世界だなと感じました。
SNS上の人付き合いについて聞いてみると、決して仲が良いというわけでもなく、相手を傷つけるのも嫌だし傷つけられたくもないと、絶妙な距離感を保ちながら過ごしている、と話していました。
ネット上であれば、気に入らない人間関係はブロックすればその関係を終わらせることもできます。そのため、人間関係の悩みや葛藤を乗り越え、解決するプロセスをあまり経験していない生徒も多いように感じています。
インターネットやSNSの存在自体は、世の中を便利にしてコミュニケーションを促進している有益なことも多いわけですが、一方で、画面越しのコミュニケーションは表情や体全体の身振りなどが分かりませんし、互いに理解し合っているかどうか曖昧なところもあり、総合した相手の理解が難しくなっています。
互いにリアルに表情を見たり、声を聴いたり、仕草に関心を向けないようになると、自分や他者の感情を想像できるような社会性や感情が獲得できないという問題が起きるように感じています。
そのような問題意識から現在は、独自に開発したワークなどを使って、感情が実際どのように育まれていくかについて、観察する研究にも取り組んでいます
——具体的にどのようなワークがあるのか、とても気になります。
感情を「見える化」するのに使いやすい、現在ある高校で取り組んでいるワークを紹介しますね。
そのときに使ったのは、気持ちに関する言葉が書かれたカードです。「もどかしい」「やきもきする」「ドギマギする」など100種類ほどある気持ちが書かれた、トランプのようなカードです。
5、6人のグループに分かれて、グループ内で、順番を決めます。まずは、最初の番の人がそのカードを引きに来ます。例えば「むかつく」というカードが出たとします。
そうしたらその人は、「むかつく」という言葉を使わずに、グループの皆に、「私が(僕が)この気持ちになるのは…のときです」といったエピソードを伝えます。そしてそのエピソードを聞いた周りの人は、その人が引いたカードに書かれている気持ちを当てていきます。
ある高校生は「僕がこの気持ちになるのは、コンビニでイチゴミルクを買ったら、ストローがついていないときです」というエピソードを周りの友達に披露していました。その途端、友達が一斉に「むかつく!!」と言ったので、私は驚きました。高校生の「むかつく」ってこういうときなんだと、興味深かったです。子どもたちのボキャブラリーの実態もよく分かります。
1周したら、次はカードを引くところまでは同じですが、言葉を使わずに、表情や身振り手振りだけを披露して当ててもらうようにします。これは大人でも盛り上がります。
このように楽しい遊びのような形で、感情を表す言葉はさまざまあることや、仲間に感情を共感してもらえた喜びって大切だなということに気づくように促しています。
常にいい子じゃなくていい。“Very Good”より“Good Enough”の感覚を
——遊びながら自分の感情を言語化できるワークはとてもおもしろそうですね。
先ほど紹介したのは、一瞬の出来事について描写するワークでしたが、1日の中でどのように自分の感情が変化しているのかを見える化する、「気持ちのジェットコースター」というワークもあります。
このワークでは、「今日1日の気持ちの動きをシートに表してください」というお題と共に、真ん中に横線を引いた1枚の紙を渡します。
朝起きたときは何も感じないけれど、朝ごはんを食べているとなんとなく気持ちが明るくなった(気持ちの線が0からプラスに変化したことが分かります)。でも外で会いたくない人に声をかけられたら嫌な気持ちになった(プラスから急降下してマイナスの気持ちになるのが分かります)、というように、寝るまでの気持ちを一度書いてみます。すると、1日のうちで感情が何度も変化していることに気がつきます。
落ち込んでいると思っていた人でも、楽しい時間があったことに気づきます。なんで夕方に気持ちが落ち込むのだろうと不思議になったりするのです。動いた瞬間に目を向けると、実は感情がかなり動いていることに気づくことができます。そうして、原因を考えれば、問題解決も見えてくるものです。
——子どもたちと一緒に、私たち教員もこのワークに取り組んでみたいと思いました。
ぜひ取り組んでみてください。このワークに取り組むとき、私は1日の中でワクワクする瞬間に目を向けてみることを提案しています。例えば教科の学びであれば、学んでいるとき「この実験楽しいな」「問題が解けたらうれしいな」というように、一つひとつの学びの中にワクワクする瞬間があるはずです。
このように学びに付随する感情を大事にすることで、子どもたちの自己肯定感も自然と育まれていくと思います。そして単純な成功体験だけではなく、「これを知ることができて良かった!」とワクワクすることもあるかもしれませんしね。
知識をたくさん覚えたり、短い時間で問題を解くことがどうしても授業時間の大半を占めるようになっていますが、それと共に「いっぱいあっておもしろい!」「解けた、うれしい」といった気持ちを育てたいものです。
——教員の気づかないところで、子どもたちの感情は毎秒ごとに動いているのだと改めて感じました。
ときどき立ち止まって、感情に目を向ける機会がとても大切だと感じています。最近私がワクワクという感情と同じく注目しているのが、「まったり」という感情です。
まったりとは、なんとも言えない穏やかな気持ちのこと。この感覚が、昨今なかなか体験できにくくなっていることに気がついたのです。
気持ちの「見える化」でよく使うツールの1つに気持ちを分類する「ムードメーター」というものがあります。これはイエール大学で開発されたものです。横軸は、右へいくほど、心地よいということを示しています。
縦軸は、上へいくほどエネルギーが高いということです。このように考えると4つのゾーンができて、私たちの感情はこの4つのゾーンに分けて考えることができますよ、と気づかせるワークです。
個人的に考えていることですが、今の大人は子どもに、このムードメーターの中の「黄色ゾーン」に一日中いてほしいと願いすぎているように思うのです。この黄色いゾーンの子どもと言えば、つまり、常に明るく気持ちよく力を入れて、という期待です。
朝起きて「おはようママ!」、「行ってきます、パパ!!」元気に学校に行って、「おはようございます、先生!!」給食をもりもり食べて、元気に「ただいま!!」と帰ってくる…そんな理想の子ども像を大人は期待しすぎていないでしょうか。
一方大人は、お金をかけて、温泉に入る、ヨガ教室に通うなど、緑のゾーンを求めています。子どもも同じで、緑ゾーンのまったりとした時間を求めています。まったりとした時間があってこそ、ストレスが軽減され、明日への活力が得られるというものです。
そのため、子どもたちにとって充電の場、居場所である緑ゾーンの時間を保証することが、問題行動の予防になるかもしれないと思っています。
——確かにそうですね。この指標を見ると、どんな感情も人には当たり前にあるものだと感じました。
自己肯定感が高い子どもをイメージすると、なんとなく黄色ゾーンの子どもをイメージしてしまいませんか?
でも私はそうではないと思っています。むしろ自己肯定感や自尊心が高いという状態は、自分のダメなところや嫌なところも丸ごと受け入れられているということ。
だから子どもたちには、自分自身を常に“Very Good”でいようと頑張るのではなく、「そこそこ頑張っているよね」と自分に“Good Enough”と言ってあげられるようになってもらいたいのです。
実は自分の中にあるネガティブな部分や気持ちは、その人の資源にもなります。「落ち込みやすい」というのは見方をかければ「誠実で真面目だからです」。「あわてんぼう」なのは、「行動力があり、機転が効くこと」につながるでしょう。
感情を見える化することで、自分の感情に気づき、どんな感情も自分に必要なものだと捉えて、そこそこの自己肯定感を持ってもらえたらうれしいです。
〈取材・文:チーム「感情の正体」〉