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たくさんの「いのち」に囲まれ、「生きる」を学ぶ。日本一小さな私立農業高校が大切にする体験的な学びの力

たくさんの「いのち」に囲まれ、「生きる」を学ぶ。日本一小さな私立農業高校が大切にする体験的な学びの力

「コスパ」という言葉に象徴されるように、現代に生きる私たちは、学校現場も含めて「いかに効率的に生産性を上げられるか?」という空気と無縁ではいられません。しかし、こうした最短距離を目指す風潮が、実は子どもたちの学びを貧しくしてしまっているのではないかとも思います。

このモヤモヤに対する答えを探すべく、私たち取材班は三重県伊賀市にある私立愛農学園農業高等学校の様子を取材させてもらいました。

この学校は少人数制、全寮制で、生徒も教員も多くの家畜や作物と日々向き合いながら一緒に暮らしています。ある種の「面倒くさい」環境の中で、しかしだからこそ、生徒が生きる力を取り戻していくといいます。

そこには具体的に何があるのか。関わる先生たちはどのようなまなざしを生徒に向けているのか。同校教頭の泉川 道子さんに話を聞きました。

写真:泉川 道子(いずみかわ みちこ)さん
泉川 道子(いずみかわ みちこ)さん
学校法人愛農学園農業高等学校 教頭

愛農高校在任25年。赴任当時は畝や播種などの農業用語や、慣行栽培と有機栽培の違いなど農業に関することは何一つ知らなかった(実は今もかなり知らない)。音楽と聖書の教員として、副寮監として、農場助手として、ひたすら高校生と向き合う日々。さまざまな課題を抱える彼らと家族のように関わる約20年の担任時代を経て、2017年より現職。正義感が強く、自己嫌悪と自己愛がアンバランスに共存、なおかつ自分が思っているより子どもで、大人が思っているよりも大人の高校生諸君をこよなく愛す。座右の銘は「ピンチはチャンス」。


日本一小さな全寮制の私立農業高校


ーーまずはじめに、愛農学園農業高校はどんな学校なのか教えてください。


愛農高校は1963年に設立された、キリスト教の背景を持つ私立農業高校です。全日制であり全寮制、農業科しかない私立の農業高校は極めて珍しく、日本全国では愛農高校だけです。1学年25人定員の少人数制を貫いていて、一人ひとりに深く丁寧に関わる姿勢を大切にしています。

全寮制にしているのは、寮の中で共同生活をすることに教育力があると思っているからです。そのため、どんなに近くに住んでいる人でも寮に入ってもらい、共同生活をすることで生活習慣や自立心を養います。

教職員も、約7割の方が学校の敷地内にある職員住宅などで暮らしているので、教員とその家族を合わせた約100人の小さなコミュニティの中で、皆で一緒に暮らし、生きているような日々です。


学校敷地内には木造りの校舎をはじめ、実習用の畑、果樹園、牛舎、豚舎、鶏舎があり、「たくさんのいのち」に囲まれながらの農業教育に力を入れています。

農業を通して「生きること」を考えてほしいという思いから、農薬や化学肥料を使わない有機農業を行っており、安全でおいしく、生命力のある食べ物を作っています。収穫した農作物は、校内で調理され、皆でおいしくいただきます。

ほぼ敷地内で獲れた農産物を使うので、学校内の食料自給率はなんと70%以上もあるんですよ。無農薬で育てた野菜には虫もいるため、1年生の調理当番が朝食前後や夕食前後に野菜を洗って刻んでくれます。

週に1回の夕食時には、3学年縦割りの小グループが自分たちで献立を考えて調理もするんですよ。


ーー学校という以前に、皆で暮らしている共同体のようですね。愛農高校のウェブサイトに「体験的にしか学ぶことができないことを学ぶ」とありますが、これにはどんな意図があるのでしょうか?


当校には、いのちを大切にしたいという理念があります。なぜなら「たくさんのいのちと生きていくこと」が平和であると考えているからです。たくさんのいのちと生きていくことは、つまり共に暮らすということです。農業教育や食環境、寮生活を通して、平和に生き続けられる世界を学んでいるというのが愛農高校における学びと位置付けています。

例えば私たちが食べるものは、いのちであり、食べることは、いのちを大切につなぐことです。そして、そのいのちを育むものが農業です。


こうした感覚は、体験的にしか学べません。ここでは一人ひとりが教育者として、農場での働き手として、助手として、調理場での調理員として、たくさんのいのちと生きていく体験をしながら、お互いがお互いを大切にし合う共同体であるのだということを、生徒の皆さんには体験を通して学んでいってほしいと思っています。


ーー具体的に生徒はどのようなことを体験し、どのようなことを学んでいくのでしょうか?


通常授業の他に、午後には農業実習と朝夕の農場管理があります。愛農高校には、作物、野菜、果樹、酪農、養鶏、養豚の6つの部門があって、1年生の間は4人程度の班を作り、その6つの部門を実習の授業毎にローテーションで回ります。

1年生のうちに必ず体験するのが、ニワトリの解体です。どの生徒も、生きているニワトリを自分の手で持って、首筋を裏向けて、自分で包丁を入れて、そのいのちを淘汰するという体験をします。

この解体の体験を通して、今まで自分が口にするものに何の関心も持たなかった生徒が、自分が今まで食べていた食材にはもともといのちがあって、そのいのちを奪って自分が食べていたんだということ、そして、そのいのちが自分の体の中に入って自分を生かしてくれているのだということ、だから「いただきます」と言って食べるのだということに気がつくわけです。

そうすると、平気で食事を残すことをしなくなります。昼食は生徒も教員も皆一緒に食べますが、苦手でどうしても食べられないものがあったら、お互いに交渉して残さない工夫をしています。

話を聞いた泉川さんは、音楽と聖書を教えている


食べるという行為を通じて、大事ないのちが自分の体の中に入ってきていて、それによって自分は生かされていると感じられるようになり、それが「自分のいのちも大切にしよう」という意識につながる。

自分のいのちが尊いということ、この当たり前のことが、作物や動物に囲まれ、寮生活で他の生徒と共に暮らす体験の中で、実感として感じられるようになるのです。


ーー農業、そして食べることを中心に「いのちのつながり」も体験的に学んでいるというわけですね。


そうですね。そもそも人間は食べ物からできているわけで。しかし現代社会では、このいのちの源である食べ物がどういう経路を辿って私たちの口に届いているのかというのはほとんど感じられなくなってしまっています。

でも、愛農高校だとその全体像が見られる。例えば人参1本にしても、吹けば飛ぶようなとても小さな種を撒いて、小さなポットで芽を出して、成長に合わせてより大きなポットに植え替えて、やがて土に移す。その際にはきちんと土の中の栄養素を整えてあげないと、健康的に育たずダメになってしまう。

そうしたトライアンドエラーを繰り返して、やっと人参ができあがる。これを自分で調理して、それを皆が食べて、おいしいと言ってくれる。そうした全てのプロセスが、自分の見える範囲の中にあるということが、体験として大事なことだと思っています。

自分の働きが、ダイレクトに誰かの役に立っていることが感じられる。それって、人間の喜びの根幹ですよね。


いのちの響き合いで、ありのままの自分に戻る


ーー愛農高校に通う生徒は最初から農業がやりたくて入ってくるのでしょうか?


さまざまな背景を持つ生徒が本校にはやってきます。もちろん農業に興味を持って入学してくる生徒もいますが、中学時代に学校の成績があまり良くなかったり、学校に行けなかったという子が受験するケースも多いです。でも、その子たちの中にポテンシャルがないかといったら、決してそうではありません。

本校で全寮教育を受け、農業教育を受けているうちに、どんどん元気になってきたり、自分自身のやる気を発見して、やりたいことをどんどんやるようになっていったりする生徒が、最近は特に多いと実感しています。


ーー具体的に生徒のどのような部分が変わっていくのでしょうか?


共に暮らしながら学ぶ中で、生徒がだんだん自然体になっていくんです。

例えば、新入生として学校に入ったばかりの生徒の中には、やっぱり体裁を取り繕ったり、自分を大きく見せようとしている生徒もいます。そもそも人間は、隠し事をしたり言い訳したりするものですからね。でも、そんなことは何の役にも立たないということが次第に分かってくるんです。


また、寮生活では1年、2年、3年生が1人ずつ縦割りで入る3人部屋での共同生活になりますが、入寮したばかりの1年生は、どんなに気丈そうな生徒でも、やはり初日の晩は枕を涙で濡らします。15歳ですからね。

それを先輩は見ていて、「自分もそうだったから、大丈夫やで」と言ってあげるんですよ。そこから関係性が始まるわけです。

同じ部屋だと、人には見せたくない、隠しておきたい部分まで全て露わになってしまうので大変なこともありますが、先輩たちも同じ経験をしているからこそ、そのまた先輩たちからかけられてきた大切な言葉を後輩に伝えていくことができる。弱さを強さに変えられた人は、弱さを感じて立ち止まっている人に対して、「大丈夫だよ」と言えると思うんですね。

もちろん、そんな綺麗事ばかりじゃなくて、悪い習慣なんかも継承されているのかもしれないですけど(笑)。


ーー確かに、一緒に暮らす中では自分の弱い部分も見せざるを得ませんよね。


本校のPV(紹介動画)の中で、岡崎という男子寮の教員が「自分の弱いところを出しても平気なんだ、自分の弱いところが全部バレてる、でもそれで平気なんだというのが寮生活の魅力」だと話している場面があるのですが、本当にその通りだと思います。

こうした先生のまなざしのおかげで、生徒たちも寮生活の中で、お互いを知り合う、弱さを分かち合うという経験を重ね、ありのままの自分を認めてもらうことを体験するのだと思います。そうして、入学してきた当時は肩で風を切って歩いていたような生徒が、だんだんと自然体になっていく。

そんな様子を見ていると、人間味が増してきた感じがして感激するんですよね。


ーーちなみに、愛農高校では寮も含めてゲーム機やスマホの持ち込みは禁止と聞きました。これも現代では珍しいですよね。


便利だと言われているものも、深く考えてみると「本当に便利なのだろうか?」と疑問に思うことがありませんか?

今は、電車に乗ればほとんどの人がスマホを見ていますし、子どもに「これで遊んでおきなさい」とゲーム機やスマホを与えておけば静かになるので、ファミレスで食事をしながら子どもがゲームをしている場面も見かけます。

でも、子どもたちは本当にそれを望んでいるのでしょうか?私は、目を合わせて話を聞いてもらうとか、自分の話にきちんと注意を向けてもらうとか、そういうことが子どもには一番必要だと思うんですよ。

愛農高校では、自分たちが食べるお米は自分たちが作ったものだし、お味噌汁の味噌も自分たちが作っている。自分が関係しているものが日々の食卓に出てくるから、教員も生徒も、自然と「これは美味しいね」「今年の味噌は酸っぱいね」と顔を見て会話をします。

一緒に働いて、ご飯を食べる。何かに挑戦してうまくできたら「すごいね、できたやん!」と称え合う。スマホ画面を眺めるよりも、もっと自然の匂いをかいだり、窓を開けて今日は肌寒いなと感じたり、もうすぐ雨が降ってきそうな空の様子だったりを感じることの方がよっぽど大事ではないかと思うのです。

現代社会では効率化されて省略されつつある、こうしたディープな関わり合いを、あえて大切にしたいと思っています。

教員も生徒も、自分たちで作った同じ釜のご飯を食べる


体験的に学ぶ環境の教育力を信じて


ーー「たくさんのいのちと生きていく」、そしてそれを「体験的に学ぶ」ことで人間らしさを取り戻し、自分らしく生きていくことを学ぶのですね。


私たちは何かを教えているというより、環境を用意しているだけです。

寮生活という環境、農場という環境、共に食べるという環境、皆が生きていくために必要な仕事をするという環境を用意しているだけなのですが、この環境にこそ、教育力があると信じています。こうした環境をキープしていくのは大変ですけどね…。

今の日本の農業ビジネスの中では、有機農業は端的にいうと儲からないので、公立の農業高校であれば教えません。有機農業をやることに対して、「そんなお金にならないことを生徒に教えてどうするのか?そんなことを教えても生きていけないではないか?」という声があるわけです。


ーーそれでも有機農業にこだわっているのはなぜですか?


有機農業をやっても儲からないけれども、有機農業をやることには大切な意味があるということを教えるのが本校の教育方針だからです。

有機農業とは、単に農薬や化学肥料を使わない農法でなくて、太陽のエネルギーと、土と水を利用し、安全で美味しく、生命力のある食べ物をつくる農業なんです。

愛農高校で体験する有機農業は、もしかしたら裕福な生活をすることには直接つながらないかもしれない。でも私たちは「安全で健全な食べ物を、愛ある家庭で、皆そろって『おいしいね』と言って食べられることが幸せだ」という価値観を大事にしたい。その生き方を学び合う学校でありたいと思っています。


これは簡単なことではないので、職員の確保にも苦労していますが、今23人いる常勤の教員のうち、半分弱は愛農高校の卒業生なんですよ。うれしいことに、卒業生が戻ってきてくれて、教員や農場の助手などをしてくれています。

暑い中で、給料も少なく宿舎もボロボロですが、創立者の小谷純一さんが唱えた建学の精神に共鳴して、同志として働いてくれてこの環境を保っています。


ーー最後に、読者の先生たちにメッセージをお願いします。


私は、大人がつくり出している今の社会が、子どもたちにとって満足のいく社会になっているかというと、そこは疑問に思っています。

教育の本質は何かと考えると、子どもたち一人ひとりが持っている人間の素晴らしさやポテンシャルを引き出すことですよね。それらは点数だけで評価されるものではありません。

どんな背景を持つ子どもでも、可能性は無限にあるダイヤモンドの原石です。子どもたちの中にあるダイヤモンドを、 共に磨き合い、光り輝かせたい。そんな願いを持つ仲間づくりを実現していくことが、私たちが教育に携わる者として、より良い社会づくりをしていく上での原点となるのではないでしょうか。


私たちが生徒たちのすぐそばで一緒に生きている中で、その生徒の持ってる課題が克服された瞬間にときどき立ち会えることがあって、そういうときはすごくうれしいです。農業の持つ教育力、たくさんのいのちと生きる子どもたちの様子や感性には、本当に素晴らしいものがあります。

これからも私たちは愛農学園なりのスタイルで、子どもたちと一緒に生きて、子どもたちが自己肯定感を持って、自分のできることを増やしていくお手伝いをしていきたいと思います。


<取材・文:チーム土佐塾/写真:ご本人提供>