ともにいるだけで学びになる。アートの手法で、障がいの捉え方の転換に挑む「認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ」の取り組みとは?
2022年9月、国連より日本の分離的な教育環境を改善し、インクルーシブ教育の推進を促す勧告が出された。しかし、障がいのある人もない人も、ともに学ぶインクルーシブ教育の実現に向けて、一体どのようなことを大切にしたらいいのだろうか。また、どのような取り組みを進めたらいいのだろうか。
まだ一般的には十分に知られていないインクルーシブな学校・社会づくりの実現に向けたヒントを得るために、アートの手法を用いてインクルーシブな社会づくりに取り組んでいる、認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ代表の久保田翠さんに話を聞いた。
東京藝術大学大学院美術研究科修了後、環境デザインの仕事に従事。重度知的障害のある長男の出産をきっかけに、2000年にクリエイティブサポートレッツ設立。2010年障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァ開所。2016年「表現未満、」プロジェクトスタート。2018年たけし文化センター連尺町建設、2022年浜松ちまた公民館開所。2017年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2022年度静岡県文化奨励賞受賞。
何もしない様子から、何かが生まれるのを待つ
——認定NPOクリエイティブサポートレッツは、どのようなことに取り組む団体なのでしょうか?
私たちは静岡県浜松市に拠点を構え、障がいのある人もない人も、ともに生きられる社会を目指して活動している認定NPO法人です。
私たちの主な活動は、障がいのある人が好きなことに没頭できるような福祉施設の運営や、施設を拠点としたイベントやプロジェクトの実施、障がい者と地域の交流や啓発活動にも積極的に取り組んでいます。
私たちは障がいのある方たちが通う施設を運営しているので、福祉系NPOと思われることがよくあります。ですが福祉の事業を本格的に始めたのは2010年からで、設立当初はアートの講座やイベントの実施がメインの活動でした。
だから、アートを通して障がいや国籍、性差、年齢などあらゆる違いを乗り越え、ともに生きられる社会の実現を目指すNPOが、現在は福祉施設を運営しているという形になります。
——なぜ障がいのある人たちが通える施設を作ろうと思ったのでしょうか?
私たちの拠点の1つである「たけし文化センター連尺町」、通称「たけぶん」。
「たけし(壮)」というのは、私の息子の名前なんですね。彼は障がいを持って生まれてきました。言葉を発することもありませんし、食事も介護なしでは自分で食べることができず、障がいの中でも一番重たい区分に当てはまります。
さらには「強度行動障害」というのも持ち合わせており、一見すると変わった行動をすることもあります。例えば壮は、タッパーのような入れ物に石を入れてずっと叩き続けるという行動を続けることがよくあります。
一般的にこのような行動は、普通であれば彼はその入れ物を取り上げられ、やめさせられます。でもこの「迷惑」という見方は、あくまで社会側の視点。本人の意思は、全く無視されているように感じませんか?壮にとって、この行動がものすごく大切な行為なのだとしたら、彼はやめる意味が理解できないと思うんです。
かといって、壮のような存在をありのまま認めると言うのは簡単ですが、実際にはとても難しいことですよね。
現在「たけぶん」の中には、「障害福祉サービス事業所アルス・ノヴァ」という福祉施設があります。ここでは、知的障害や精神障害のある方や、特別支援学校に通う子どもたちが過ごしています。
——利用者の方の「ありのままを認める」ために、スタッフの皆さんはどのような支援をされているのでしょうか?
利用者の「ありのままを認める」ために大事なことは、彼らの存在自体を、受け止めることだと考えています。私はたけぶんを、自分の好きなことをずっとやり続けられる場所にしたい。壮でいえば、容器に石を入れて叩き続けるという行為をやり続けられる場所です。
スタッフは彼らのその行為に向き合いながら、自分はどう捉えて、どう対峙していくかを考えていきます。また、その行為自体を「表現未満、」として大切にしています。
障がいに対してアートの見方を向ける「表現未満、」という考え方
——「表現未満、」ですか。
「表現未満、」とは、誰かのやっている行為を「取るに足らない」とか、「問題行動」と見ないで、その人の大切な「表現」として捉える文化を育てていきたいと思っています。
ここに通う利用者の行動全てには、何か意味があるはずなんです。壮のように、ずっと入れ物に石を入れて叩いている人も、「わわわわー」とずっと言っている人も、水が大好きでずっと頭からかぶり続けている人も。彼らの行動の中にある彼らなりの表現を見出しています。
——なぜそのような見方をされるようになったのでしょうか?
障がいのある子どもたちは、すごく早い段階で社会と疎遠になってしまう。これは子どもだけではなく、親も同じで、私自身もすごく孤独感を感じました。
私は芸術大学を卒業した後、建築関係の仕事をしていました。出産をして社会復帰をしようと考えていたのですが、当時は「障がいの子を産んだなら自分で介護をしなさい」という雰囲気が強くて、自分の居場所がなくなったように感じてとても生きづらさを感じました。
でもあるとき「エイブル・アート」の代表を務める播磨靖夫さんが「アートは障がいのある人が手に入れた自由だ」と提唱していると知りました。
私はその言葉にとても勇気づけられて、エイブルアートにもたくさん参加しながら、同じような境遇のお母さんたちと出会ってきました。その方たちと出会えたことで、私はものすごく安心できたんです。その経験を重ねるうちに、私自身が勇気づけられ、レッツを立ち上げたんですね。
アート的な見方をすれば、壮のような自己表現をする人のことを理解できる。そのような中で生まれたのが「表現未満、」という言葉であり、ものの見方なんです。
——「表現未満、」という見方を通すと、障がいの有無に関わらず、あらゆる人とともに過ごすことが、自然と学びにつながるように感じました。
その通りだと思います。最近、障がい者の生涯学習について考える機会があります。障がいのある人たちも、日々何かを学んでいます。
でも学習というと、誰かから何かを教えてもらうことのようなイメージがありませんか?もしそうだと定義すると、言葉を理解できないような重度の障がい者は学べないことになりますよね。
でも本当は違って、彼らも学ぶことができるんですよ。どんな場面で学びが起きるかというと、それは人と接しているときなんです。そして、障がいのある人だけでなく、ない人にとっても学びがある。そこで私たちは、定期的に一般の方を「たけぶん」に招いて、1泊2日を利用者とともに過ごす「タイムトラベル100時間ツアー」というものを実施しています。
ともにいるだけで学びになる
——ユニークな名前ですね!それはどのような取り組みなのでしょうか?
このツアーでやることはとてもシンプルで、「たけぶん」の利用者たちと、ツアーに訪れた参加者が2日間一緒に過ごすだけ。みなさんが「たけぶん」に観光に来たという体で、施設の周りを観察してもいいし、散歩をしてもいいし、昼寝をしてもいい。あるいは、彼らと一緒に何か活動に取り組んでもいい。
「たけぶん」の3階は重度知的障害の方のシェアハウス兼ゲストハウスになっているので、スタッフや入所者と一緒に食事をすることもできます。とにかく、彼らと一緒の時間を過ごしていると、何か気づきや学びが生まれてくる。私たちはこのことを、「ともにいるだけで学びになる」と言っています。
——ともにいるだけで学びになる、ですか?
例えば「タイムトラベル100時間ツアー」に参加した多くの人が、「たけぶん」に来て利用者と関わることで、元気になって帰っていくんです。
このツアーに参加する理由は、仕事に疲れてしまっている、将来に不安を感じているなどさまざまです。そんな彼らが入所者と関わることで、人生の「答え」ではなく、「問い」を見出す。これは障がいのある人たちが、参加者に何かを直接的に問いかけたわけではないですよね。
でも、気づきや学びが生まれるんです。これが、「ともにいるだけで学びになる」という考え方です。
——なるほど。利用者さんとの交流を通じて、参加者の中に「気づき」や「問い」が生まれるのですね。子どもたちのための学び場もあると聞きましたが、具体的に教えていただけますか?
先ほど紹介した「タイムトラベル100時間ツアー」の子ども版が、「GOGO!たけぶん探検隊!」です。この取り組みは、近隣の小学生や中学生が「たけぶん」に遊びに来て、探検するような取り組みです。
探検、と言いましたが、小学生は「たけぶん」の中で自由に滞在します。利用者さんと混ざって遊んだり、ゲームをしたりしてもいいし、ただ見ていてもいい。子どもたちとの約束ごとは「危険を感じたら逃げましょう」などです。
先生たちには別途注意事項として「利用者が嫌がるかもしれないと忖度して、子どもの素直な発言を、『言っちゃいけません』と止めないでください」「話しかけましょう、交流しましょう、交流できてよかったね、とは言わないでください」と伝えています。
結果が大事なのではなく、あくまで「たけぶん」にいる間に何を感じたかというプロセスを大切にしたいからです。
この取り組みだけを通して、障がいのある人のことを好きになってほしいとまでは思いません。ただ、社会にはこういう人もいるらしい、というのを知るきっかけにつながったらうれしいです。
——昨今教育現場でも、インクルーシブ教育の必要性を叫ぶ声が大きくなってきています。レッツさんの考え方をぜひ学校でも取り入れられたらと感じました。
ありがとうございます。インクルーシブ教育のように、性別・年齢・国籍や障がいの有無に関わらず、「ともに生きる」「ともに学ぶ」って思ったより大変なんですよ。私たちも、この活動をしていてその大変さを日々感じています。
インクルーシブな社会の実現のためには、アートや哲学的な答えがない問いに向き合い続ける力を身につけることが大切だと考えています。アートと哲学と同じで、障がいというものをどう捉えるかに、本当は答えなんてないんです。障がいのある人が何を考えているかは、彼ら自身も私たちも分からない。だから皆で考えるんです。
それぞれが意見を出し合っていく。その中で大事なことは、答えを導き出すのではなく、共感したり、自分なりの考えが導き出されたりすればいいと思うんです。テーマや成果は特に必要なくて、大事なのは問いをつくれる人になること。
いろいろな価値観が学校に入り込むことで、学校がどんな子もスターになれるような場になったらいいなと思います。
<取材・文・写真:先生の学校編集部>