知っている授業は、もうしない!探究科教諭の私が、安心して失敗し続けられる理由
大阪府茨木市にある追手門学院中・高等学校の探究科には、ユニークな先生が集まっています。
今回は、そんな学校に勤める「探究アーティスト」の肩書きで活動する私が、これまでの教員生活で経験した「失敗エピソード」についてお伝えします。
とっても恥ずかしい失敗経験ばかりです。ですが、この記事を通して失敗を怖いと感じている先生の心が、少しでも軽くなったらうれしいです。
失敗が許される職場、追手門学院中・高等学校探究科ってどんなところ?
追手門学院中・高等学校は、白い船のような大阪の学校です。船とは大袈裟な、と思うかもしれませんが、本当に校舎が船もしくはパレットのように見えるのです(詳しくはぜひウェブサイトを見てみてください)。
本校は、2019年に大阪府茨木市の安威(あい)という場所から移転し、現在はJR・近鉄「総持寺駅」の近くに校舎があります。
新校舎構想当時から、学校の核である授業をよりさまざまな形で実施できるように議論を重ね、壁が動く教室、簡単に動かせる机、完全フリーアドレスとなった職員室。
学習環境や先生たちが過ごす場所も、昔の校舎と大きく変わりました。
本校では2019年から「探究」という科目を時間割に組み込み、探究的な学びに教員全体で向き合っていこう!と学校として舵を切りました。しかし当時、教育基本法・第一条に定められた学校の中で、探究に重きを置いたカリキュラムを実施しているところは少なかったため、参考となる学校が探しにくい状況でした。
そこで校内でバラバラに行われていた全員の探究的な実践を集約し、振り返り、次の機会に生かすことを考えました。しかし当時の現状では、探究の授業にしっかり組み込むことに難しさがありました。
そこで2020年に「探究科」を発足し、そのメンバーが中心となって学校全体で探究的な学びに取り組んでいくことになったのです。
コミュニーションツールは、Slack
私が所属する「追手門学院中・高等学校 探究科」は、主任の池谷陽平先生(愛称:たいそん)率いる少人数のチームです。この仲間たちの間柄はとってもフラットで、そこに年齢や経験の壁はありません。特にルールはないのですが、あだ名もしくは下の名前で呼ぶことが多く、私は「ベティ」と呼ばれています。
探究科のチームではよくミーティングを行うのですが、その場ではそれぞれが抱えている悩みごとを共有したり、誰かの思いつきに皆でアイデアを足しながら、新しい授業プログラムを作成します。
メンバー同士がコミュニケーションをする手段として、「Slack」というビジネスコミュニケーションツールを使っています。
Slackでは、テーマや話題ごとに「チャンネル」を作成し、ちょっと気になった(授業に関係ないような)ニュースを共有するチャンネル、生徒のリフレクション(探究の授業が終わった後に書く振り返り)にフォーカスしているチャンネルなど、話題ごとに会話する部屋を作ってやりとりを重ねています。
Slack上ではいつでも誰でも「〇〇の授業展開について悩んでるんです」などと他の先生に助けを求めることができ、私はそんな環境をとてもうれしく感じています。
そんな私たち探究科が行う授業は、生徒の状況や私たち教員の特性などに合わせて、常に内容や授業展開を微調整するようにしています。
去年うまくいったカリキュラムだからといって、今年もうまくいくとは限らないのが探究。だから、常に密な相談、微調整が必要だと考えています。
肩書きは、「探究アーティスト」
2019年のある日、突然たいそんさんから「来年から一緒に探究やらへん?」と声をかけられました。
それまでの私は主に英語の授業を担当していましたが、ファシリテーションスキルやSEL(「社会的・情動的な学び」Social Emotional Larningの略)について知るうちに、「探究的な学びってなんだろう?」と興味が出てきた頃でした。若干かぶせ気味に「やります!」と即答したのを覚えています。
たいそんさんの声かけのもと、探究科に5人のメンバーが集まりました。初めて集まったときにしたのは「探究科のビジョンについての話し合い」「メンバーそれぞれに肩書きをつける」でした。
肩書きは皆で決めるということになりました。ちなみに私は肩書きをつける話し合いの間に「探究マシンガン」「探究ショットガン」という候補が上がるほど、まとまりのない発言をする存在でした。違う見方をすれば、それだけたくさんの意見やアイデアを考えていたとも言えますが…
そんなこんなで私は、「人と違う感性を自由に発揮するアーティスト性がある」ということで、「探究アーティスト」という肩書きをもらいました。
探究科のメンバーに誘ってもらったことは本当にうれしかったのですが、個性豊かな人たちがそろっている探究科の中で、自分らしさを発揮できるのか?という不安がありました。
探究科発足当時は教員4年目(2022年時点では、教員6年目になります)で、経験も少なかったこともあり、他人と自分を比べてしまうことが多く、自信をなくしてしまったときもありました。でも「探究アーティスト」という肩書きをもらったとき、不思議と息がしやすくなった感覚がありました。それは「私は『アーティスト』という役割を期待されている。自分らしく仕事をしていいんだ」と実感できたからだと思います。
自分らしい生き方を望んでいる私にとって、「探究アーティスト」という肩書きはとてもしっくりきました。
心理的安全な学び場は、いつでも質問しやすく、相談しやすい人間関係があること
探究という学びの場で、生徒たちがクリエイティブな発想をするためには、まず心理的安全な場が必要。
心理的に安心して、自発的に学べるような環境とは、いつでも質問しやすく、仲間にも相談しやすい人間関係があること。そんな学習環境を整えたいという思いから、今まで数多くの実践に挑戦し、実践の数だけ失敗もしてきました。
例えば、教室を暗くして英語の時間の冒頭にマインドフルネスの時間をとったことがありました。そのときは、生徒が安心するどころか、「これは宗教じゃないか?」という不安を与えてしまいました。
ハークネスメソッド(議論を可視化する方法)という手法を用いて英語で喋れば、論理的思考力と英語力の両方が上がるのではないかと授業に導入してみるも、誰も喋らない地獄のような時間が流れたこともあります。
英語のクイズ早押しゲームを実施したときは、私の手に負えないくらいの盛り上がり方になってしまったこともありました。
自己理解を深めるための表現活動として、ワイヤーを使った創作活動にも挑戦しました。
好きなものや価値観を言語化し、そこから思いついた形を創作するという学習だったのですが、表現手段であるワイヤーの扱いに夢中になりすぎて、生徒たちの自己理解が全く深まらず、「ペンチが足りないんですけど!」「ハサミが壊れました!」「手が痛い」と自己理解・表現とは関係ないセリフが飛び交う始末。
結局深まったのは、ペンチの扱いだけでした。
これらは私にとっては全て、「失敗」ですよね。そしてこのような結果に終わる実践は、他にもたくさんあります。失敗したあとは毎回少し落ち込みますが、次はどうしようかとすぐに切り替えて、諦めずに挑戦を続けています。
失敗をネガティブに捉えず、常に新しい挑戦を
失敗談といえば、次のエピソードが私の印象に強く残っています。
企業とコラボレーションした授業を視察するため、高知県から私立高校の先生が来校されました。その日の授業は、電子機器で音楽を自由に創作するという授業だったのですが、使うはずの機械の充電がほとんどできていませんでした。大きなミスだったと思うのですが、私は慌てることなくその授業を終えました。
視察に来た先生の一人がその様子を見て、「その場にいる先生が誰一人パニックになっていなかったことに驚きました」という感想をくださいました。確かに私には全く焦りがありませんでした。なぜだったのでしょうか?
自信を持って言えるのは、私たち探究科のメンバーは誰一人「失敗は悪いことだ」と考えていないということ。教室では予想できないことがたくさん起こりますし、授業の前日であっても、生徒たちの様子を見てスケジュールを変更をすることがあります。
なぜ私たち探究科のメンバーは、決められた授業を、決められたように実施するだけにとどまらないのか?
それは、もはや私たちは、今までに私たちが受けたことがあるような「知っている授業」をすることは求められていないと考えるからです。
今求められているのは、目の前の生徒たちが必要としている経験ができる授業、想像力と思考力を深める授業、年々変わっていく学習指導要領の内容に対応しつつ、その学校と生徒たちに寄り添った授業…
これらは全て私たちが学生時代に経験したことのない、「知らない授業」であることが多いです。その時代や生徒に合った授業をするには、常に新しいチャレンジが必要であり、失敗を恐れていたら何もできません。
私の場合は、幸運なことに探究科のメンバーを本当に信頼しており、「失敗を恐れなくていい環境がある」と心から感じています。だから常に新しい挑戦ができるのだと思います。
追手門学院中・高等学校 探究科の使命は「常に新しい挑戦をすること」です。
そしてその大きな使命を果たすために、失敗はつきものだ、とも考えています。だから私は「授業で何かが起こったとしても、私は目の前のことを丁寧にやるだけ。もし何かが起きたとしても、信頼するメンバーが助けてくれる。頼んだよ!」と、安心した気持ちで新しい挑戦をし続けられるのだと思います。