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#1 図工の先生、じゃない!?

#1  図工の先生、じゃない!?

学校の中の環境としては世界初のクリエイティブラーニングスペース「VIVISTOP」の運営をしている新渡戸文化学園の山内佑輔さん。

学校の中にいるけれど、肩書き不明な仕事をする山内さんの視点で見える日常を連載でお届けします。

写真:山内 佑輔(やまうち ゆうすけ)さん
山内 佑輔(やまうち ゆうすけ)さん
新渡戸文化学園教諭・VIVISTOP NITOBEチーフクルー

大学職員時代、数々のイベント・ワークショップ企画の経験を積んだのち、2014年から公立小学校の図工専科の教員に。ワークショップの手法を用いて、子どもたちのクリエイティビティを育む環境をつくりだし、さまざまなアーティストや専門家、企業と連携しながら実社会と学びをつなぐ授業を実践している。
2020年4月から新渡戸文化学園へ移り、VIVISTOP NITOBEの立ち上げと運営を担当。2015年にキッズワークショップアワード優秀賞、2019年に東京新聞教育賞、2021年9月にキッズデザイン賞の最優秀賞である内閣総理大臣賞を受賞。


僕は何者なのか?

「何のお仕事をされているのですか?」と聞かれて、最近そのお返事にとても困っています。

小学生に授業をしています。園児や中学生に授業することもあります。
自分は授業をしない授業もつくります。企業と学校のコーディネートもやります。
クリエイティブ空間の運営をしています。子どもと一緒に放課後ものづくりしています。
地域の子どもたち向けにワークショップやイベントをつくっています。

ここまで伝えると、さすがに相手が困惑してくる様子が伝わってきます。

専任教員として学校に雇ってもらっているので、素直に「学校の先生です」と答えていいとも思っているのですが、その枠からはみ出し過ぎてしまって、うまく説明する言葉が見当たりません。

これまでしばらく図工の先生でしたので、そう呼ばれることも多いです。これをわざわざ「違います!」と訂正するのも面倒です。でも実は僕、「図工の先生」と呼ばれることは昔から苦手なんです。

では僕は何者なのか。連載初回はアートに縁遠かった僕が、図工の先生となり、今の肩書き不明状態に至るエピソードを通じて、僕自身のことを少しお伝えしようと思います。


そもそも「図工の先生」って言葉自体、ピンとこない人も多いかもしれません。

日本全国見わたすと多くの小学校の図画工作科は担任の先生が授業をします。図工の先生が各校にいるのは東京都や一部地域だけで、全国的には稀なんです。そんな稀な存在だからこそ、「図工の先生です」というと、ほぼ間違いなく相当な専門家だと思われます。

工作が得意、絵が上手い、とにかく器用、日曜大工が趣味!などなど、イメージがついてきます。

実際に、東京都の多くの図工の先生は、中学高校の美術の教員免許を持っています。美術系の大学(学部)に通い、これまでに得意不得意の分野はあれど、学生時代まで何かしら制作してきた経験や技術を持っている人、と言って良いと思います。先生でありつつも、作家活動をしている人もいます。

じゃあ僕はどうかといえば、今まで何かをつくってきたり、絵を描いてきたりしたことはありません。道具の知識も経験も、幼い頃に学校で習った記憶しか拠り所がありません。学の出身学部は政治経済学部です。美術に縁のある人生ではありませんでした。

ではなぜそんな僕が図工専科教員になれたのかというと、全国的に担任の先生が図工の授業をする(図工専科教員はいない)ので、教員免許としては小学校の免許があれば、図工は担当できるのです。


僕は小学校教員免許で図画工作科を担当しているパターンです。中学高校の教員免許は「社会科(地理歴史・公民)」です。でも、小学校教員免許を持っているから、図工を担当できる。そして図工専科教員の仕組みがある東京都で採用されたので、こんな僕が「図工の先生」になっちゃったのです。

なぜ図画工作専科教員としての採用だったのか、それは僕には分からない永遠の謎です。でも、そのことが僕の人生を大きく動かしてくれました。


1:40の関係ではく、1/40という感覚

そんなわけで僕は「図工の先生」と言われるのは畏れ多すぎる身分で教員キャリアをスタートしたのでした。

その当時の僕に、「あなたは創造性がありますか?」と問われたら、悩むことなく「いいえ」と答えていたはずです。それまでの9年間の社会人としてのキャリアは大学職員でしたし、決してクリエイティブな仕事をしていたというわけでもなく、美術とも縁遠い人生でしたので、”クリエイティブ/創造性”も縁のない言葉でした。

(今思い返せば、どんな仕事にも小さな創造性は潜んでいるので、当時の大学職員としての仕事も創造性を生かしていたとは思うのですが。)

今では図工美術教育から派生して、STEAM教育、創造性教育、デザイン教育、創造探求、教科横断型・・・などなど、「創造」という言葉をキーワードにした仕事をする場面が増えてきました。8年前は「自分に創造性なんてない」と思っていた僕が、です。

では、いつから変われたのでしょうか。

2014年3月末、着任直前に、前任者の図工の先生から業務引き継ぎの打ち合わせを行なった際に、当時の僕としてはびっくりする言葉をもらったのを今でも覚えています。

それは「山内さんの好きなことしていいよ!」です。

これには完全に参りました。それまでの9年間「好きに仕事していいよ」なんて言われたことがありませんでした。それよりも、図工初心者の僕にとっては「好き」も何もないのです。絵が好き、紙工作が好き、木工作が好き、版画が好き…美術系大学出身の人なら何かあるのでしょうか。僕にはそれはありませんでした。

悩んで考えた行き先は、僕がおもしろいと思った他の人の授業を真似してみることでした。それが当時の僕ができる唯一の手段。技術指導優位の授業は決して真似できません。ですので、僕が真似できる授業は、子どもが主体的に動き出せるような授業でした。

それは「今日はこれをつくりましょう!」という授業の始まりではなく、「今日はこの材料で、何できる?」というような始まり方です。

見本など正解らしきものはなく、とにかく試して、つくって、壊してを繰り返しながら、「見て、見て!」が飛び交い、さまざまなモノが生まれていく授業です。

こうした授業では、極端に言えば、最初の「この材料で、何できる?」という声かけ以降、全体に声をかけることはありません。「片付けー!」くらいかもしれません。

図工室の特性上、もともと4人が向かい合って座るので、子ども同士の関わり合いは自動的に生まれます。先生対子どもの1:40の関係性ではく、僕も子どもと同じ1/40という感覚です。

では何をしているのかというと、子どもたちと喋ったり、様子を眺めたり、一緒に遊んだり、一緒につくったりします。公立小勤務のときは1週間で12クラス、24時間単位の授業を担当していましたから、これを毎日毎週続けていたわけです。


毎日想像を超える連続でした。そんな方法があるの!?そんな発想でるの!?と。

「ねーねー、これとこれをくっつけたいんだけど、どうしたらいい?」などと相談が来たら、大変。僕は答えを知らないので、調べて試して、一緒に考えます。うまくいったら一緒に喜ぶし、失敗したら一緒に嘆きます。

僕の授業については、連載[余白]をつくるに書きましたので、ご覧いただければうれしいです。


「NO teacher」「NO curriculum」

僕の授業は、僕自身にとっても、創造性を育む場だったのではないかと思います。

「自分に創造性なんてない」と思っていた僕は、毎日その環境に揉まれながら、子どもたちに学びながら、創造性を取り戻せたように思うのです。

「あなたは創造性がありますか?」と今問われたら、悩むことなく「はい!」と答えることができます。それは、図工の時間を通じて、僕自身が子どもたちに育ててもらったのだと思います。

そんな僕は2020年4月に「VIVISTOPというクリエイティブラーニング環境をつくる」という創造性あふれる仕事のお誘いを受け、公立を離れ、新渡戸文化学園に移りました。立ち上げ段階を終え、現在はその運営も担っています。


実はVIVISTOPは学校へのアンチテーゼとして出発しています。「NO teacher」「NO curriculum」が分かりやすいキーワードです。それなのに、全世界で展開するVIVISTOPの中で、はじめて学校にできたのが、VIVISTOP NITOBE です。

この矛盾した環境、そして前例のない新しい概念をどうつくっていくのか、今はそんな仕事が僕の中心です。名前がない、肩書きがない訳です。学校の先生とVIVISTOPクルー(クリエイティブ空間運営スタッフ)を行き来しながら日々考えて、試して、実践して、を繰り返しています。

この仕事に名前や肩書きはつけなくていいと思っています。さまざまな側面を持ち、あいまいで、これからも変化し続けることが分かっているからです。

この連載では、そんな学校の中にいるけれど、肩書き不明な仕事をする僕の視点で見える日常をお届けしていきたいと思います。

「学校の先生」は誰もが知っている職業のひとつです。働いて初めて知ることは多々ありますが、実際にその職に就いていない人でもイメージをもちやすい職業です。でも、これから先の未来では「学校の先生」も、もっともっと変わっていってもいいのではないでしょうか。

スタンダードを変える訳ではなく、イレギュラーも受け入れられる、イレギュラーも増えていく、そんな世界になったらいいなと思っています。そんな僕の日常を、おもしろがっていただければうれしいです。